『華竜の宮』

あらすじ

ホットプルームの活性化による海底隆起で、多くの陸地が水没した25世紀。未曾有の危機と混乱を乗り越えた人類は、再び繁栄を謳歌していた。陸上民は残された土地と海上都市で高度な情報社会を維持し、海上民は海洋域で〈魚舟うおぶね〉と呼ばれる生物船を駆り生活する。陸の国家連合と海上社会との確執が次第に深まる中、日本政府の外交官・青澄誠司アオズミ・セイジは、アジア海域での政府と海上民との対立を解消すべく、海上民の女性オサ・ツキソメと会談する。両者はお互いの立場を理解し合うが、政府官僚同士のいさかいや各国家連合の思惑が、障壁となってふたりの前に立ち塞がる。同じ頃、〈国際環境研究連合IERA〉はこの星が再度人類に与える過酷な試練の予兆を掴み、極秘計画を発案した――。最新の地球惑星科学をベースに、地球と人類の運命を真正面から描く、黙示録的海洋SF巨篇。

カバーより

 『魚舟・獣舟』(感想はこちら )と同じ世界を背景に描かれた、壮大な長篇SF。


 まず、圧巻だったのがプロローグの部分。凄まじいまでの変化が短い中に凝縮されている。現代とを繋ぐイントロ部分を除いて、純粋にリ・クリテイシャスによる変化が語られている部分を数えるとわずか8ページしかない。その枚数の中に、この災害で引き起こされた激変が淡々と語られている。これが何とも強烈だ。


 海面は現在より260m上昇し、陸地だった土地の多くは水没してしまう。そうなる過程で熾烈な争いが起こり、国家は再編成され、一部の人びとは遺伝子を改変して人間とは呼びがたいものへとまで変化してしまう。短篇を読んだ時も、濃い内容を少ない枚数で見事に描いてみせる作者の技量に驚かされたものだが、この長篇もさらに上回る濃密ぶりだ。文章を削いで削いで圧縮することによるインパクトを思い知らされた。


 このシリーズの世界観を魅力的なものにしているのが、海上民の生活風習と魚舟との関係だ。遺伝子改変されている魚舟は、海上民の片割れとして生まれ、海で育ち、〈朋〉となる海上民の元へと再び戻ってくる。そして海上民の暮らす船となり、〈操船の唄〉で操縦される。強い絆で結ばれるパートナーシップは、マキャフリー作の『竜騎士シリーズ』(感想はこちら)や『歌う船シリーズ』(感想はこちら)などを思い起こさせる。


 主人公の青澄アオズミは陸上民で、日本の外務省から海上都市の外洋公館に派遣された外交官。主な仕事は海上民同士のもめ事の調整だ。ある海上民の船団を説得し、日本国籍のタグを取得させるよう命じられた青澄は、船団を率いる長のツキソメに接触を試みる。彼女は長を長期間務めてきたにもかかわらず、見た目が若く、通常はタグが無いと支給されないワクチンを闇ルートで確保することで、多くの船団を緩やかに率いていた。


 海上民の文化にも詳しい青澄は、ツキソメの信頼を得て会見に成功。彼女から、海上民の出生率と死亡率が上昇していて、それが獣舟の増加に繋がっているという、気になる指摘を受けた。海上民を取り巻く様々な状況は、大きく変化しつつあった。


 本書はちょっと変わった構成となっていて、青澄のアシスタント知性体のマキが語り部役を務めている。また、マキや青澄が登場しない章では、物語は三人称でも進められる。人間以外のものによる一人称で物語が進められることは、そもそも珍しい。ということは、いずれ○○○○○○○なくなるのだろうか? と思って読んでいたらその通りだった。


 マキのようなアシスタント知性体を、陸上民は子供の頃から思考補助パートナーとして所有している。身体機能を調節させたり、記憶を保存しておいたり、ネットワーク経由で他の人物のアシスタント知性体とコンタクトをとらせたりと、なかなか便利そうだ。マキは日中は人工身体で青澄に同行しているが、外交上不適切な場合や夜間などは、ボディは部屋に置いたまま青澄をネット経由で支援している。


 この世界は、こういったAIの分野や遺伝子工学の分野では、現代よりもはるかに発達している。海上民を取り巻く環境など、世紀末的な様相を呈した過酷な未来にもかかわらず、この社会が意外と明るく活気があるのが印象的だった。


 けれども、そんな世界にさらなる危機が予測され、海上民を取り巻く状況はさらに悪化し始める。人類を滅亡から救うために進められるL計画は、ツキソメの特殊性にかかっていた。ツキソメの生い立ちの謎が次第に解けていくのが面白かった。彼女と養父との関係が非常に温かいもので好感が持てる。


 青澄は人類の未来を少しでも良いものにしようと信念を貫く。弱いものが不当に不利益を被らないよう、一部の人の独占ではなく多くの人びとの利益に繋がるよう、官僚機構の中にありながら奮闘する。人類が滅亡してしまうかもしれないという瀬戸際で、青澄のような人物が頑張っている姿を見るのは清々しい。


 エピローグもプロローグ同様に壮絶で、自然の力の凄まじさに圧倒させられる。L計画自体については、ちょっと過激すぎて実現は難しいのではないかと思うが、それを言うなら魚舟や獣舟の存在自体がすでにかなり過激なので、これが実現した世界ならこういったアイディアも受け入れられるのかもしれないとも思う。過酷な展開の中にも、ラストは人類の夢を託した静謐な部分があってほっとさせられる。マキが語る最後の1行、それが全てなのだろう。


 いずれにしても、この魚舟・獣舟の設定は非常に魅力的なので、このシリーズでいくつか作品を書いて欲しいものだ。また、マキが辿り着いた先での展開も、できればぜひ読んでみたいと思う。