『あなたの人生の物語』

あらすじ

地球を訪れたエイリアンとのコンタクトを担当した言語学者ルイーズは、まったく異なる言語を理解するにつれ、驚くべき運命にまきこまれていく……ネビュラ賞を受賞した感動の表題作はじめ、天使の降臨とともにもたらされる災厄と奇跡を描くヒューゴー賞受賞作「地獄とは神の不在なり」、天まで届く搭を建設する驚天動地の物語―ネビュラ賞を受賞したデビュー作「バビロンの搭」ほか、本邦初訳を含む八篇を収録する傑作集

カバーより

 作者テッド・チャンはデビュー作「バビロンの搭」で一躍注目された若手SF作家だそうだ。発表作は現在のところこの本に収録されている中・短編しかないようだが、発表作品がこれだけの割に受賞暦が華々しい。実際読んでみると好評なのも納得できる。作品のテーマと表現方法を見事に調和させた構成も上手いが、何より作者自身がいちSFファンとしてSF好きのツボを押さえている所が面白さのゆえんかもしれない。

「バビロンの塔」

 天まで届くバビロンの塔をより高くするために、空の丸天井に穴を掘りにやって来た鉱夫ヒラルムの物語。荷車を引きながらだと、ゆうに4ヶ月はかかるという搭の頂上までの道のりを、車力達と共に登り始める。ヒラルムの目を通して、搭の町で営まれている生活の様子が綴られている。そうして物語が進む中、ある段階でいきなり世界が我々の知らないものへと変容する。この落差が非常にSF的だ。物語風の語り口もとても私好みだ。ネビュラ賞受賞。

「理解」

 新薬の実験で超人類となった男の物語。知能は向上し、肉体の制御力も増す。理解力が飛躍的に向上しため、物事の統一的全体像を瞬間的に把握でき、あらゆることに意味や予兆を見出せる。超人類となった主人公の能力と世界の見え方、超人類としてどう生きるかが、現代的な感覚で描かれている。超人類同士の対決が見物。

「ゼロで割る」

 数論の矛盾を証明してしまった数学者レネーと彼女の夫の話。自らの心のよりどころを否定する証明をしてしまったレネーは、その事実に打ちのめされる。もしレネーがこの後に収録されている「顔の美醜について」に登場する「カリー」を処置されていれば、ここまで数学に全面的に依存しなかったのだろうか。少しステレオタイプな気もする。ところでテーマとなった数論はゼロによる割算を使用したものだが、はっきり言って難しくてよくわからない(笑)。章の構成がこの数論を反映させてあり、凝ったつくりとなっている。

あなたの人生の物語

 エイリアンの通訳に携わった女性言語学者ルイーズの語る娘の一生の物語。エイリアンの表記方法を学ぶうちに、ルイーズはエイリアンのような物事の見え方が身につく。彼女が通訳をする過程が語られる中に、彼女の娘のエピソードが未来を予言する形で挿入されている。これがなんとも上手い。エイリアンの表記と物語の作風が見事に一致している。この物語はこういった書籍形式ではなく、寄せ書きのようにさまざまなエピソード群を一枚の大きな紙に書き連ねた形式で読んでみたい。どこからでも読めるその書き方はこの作品を表現するのにふさわしい体裁なのではないだろうか。なかなかの傑作だと思う。ネビュラ賞スタージョン賞・星雲賞受賞。

「七十二文字」

 粘土などで創ったオートマトンを動かすための「名辞」の物語。「名辞」は文字の組み合わせでできていて、エンジンのような役割を果たしている。オートマトンとはロボットのようなもの。と言ってもまだたいしたことはできず、粗雑に動くだけだが。時代はヴィクトリア朝だが、錬金術が息づきユニコーンホムンクルスの実在する少し異質な世界が舞台。名辞師ストラットンは、複雑な動きをこなせる名辞を開発した。そしてこれを社会に広め、労働者階級の人々でも豊かに暮らせるよう産業革命を起こしたいという志を持っていた。一方、人類の未来に遺伝子レベルで問題があることが判明し、ストラットンはそれを解決する名辞の開発に抜てきされる。錬金術的な世界観が魅力的。ビジョルドの『スピリットリング』(感想はこちら)の世界観と少しイメージが似ている。文字により命を吹き込む「名辞」は、コンピューター言語や遺伝子に似ている気もするし、魔法の呪文のようでもある。錬金術とはいえ、一種の科学として描かれている。

「人類科学の進化」

 超人類が存在する世界における人類の研究発表の意義を、研究論文風に書いた作品。とても短い。掲載されたネイチャーを意識して書かれたのだろうが、使用されている言葉が難しくてちょっとつらい(笑)。

「地獄とは神の不在なり」

 愛する妻を天使の降臨で失ったニールが、いかにして神を愛するようになったかを描いた物語。この世界では天使は人間世界に唐突に降臨し、まるで自然災害ででもあるかのようにさまざまな奇跡を起こす。それは幸いにも禍いにもなる場合があり、人間には神の意志は理解不能だった。文字どおり天国に召された妻の後を追いたいニールは、自分も天国に行くために、神を愛そうと努力する。宗教を扱っていながら宗教くささがあまりなく、異質なエイリアンのように天使が描かれている。ネビュラ賞ヒューゴー賞ローカス賞受賞

「顔の美醜について――ドキュメンタリー」

 見た目による差別を無くしたり、見た目に捕われない生き方をするために、顔の美醜を認識できないようにする処置、美醜失認処置カリーアグノシアの話。さまざまな立場からこの処置の是非が語られる。確かに見た目の差別は無くなるのかも知れないが、せっかくある認識能力をわざわざ認識できないようにしてしまうのはどうかと思う。