『虐殺器官』

あらすじ

9・11以降の、“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内線や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追って、チェコへと向かう……彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは? ゼロ年代最高のフィクション、ついに文庫化!

カバーより

 近未来の新しいタイプの戦争を描いたSF。暗殺を任務とする主人公の一人称で描かれ、主人公の内面がさらけ出されている。戦争を取扱っているため、血なまぐさくて残酷な情景が次から次へと描かれる。主人公は大量の死を冷めた目で見ながらも、自分の両親の死や自分が殺した者に対する罪悪感やトラウマを抱えて葛藤する。死に向き合う感情が生々しく吐露されていて、それがものすごいエネルギーで書かれていて強烈だ。


 主人公のクラヴィス・シェパード大尉は、アメリカ情報軍の特殊検索群i分遣隊所属の兵士。暗殺を請け負う唯一の部隊である。任務でジョン・ポールの暗殺を命じられるが、いつもきわどいところで交わされて、なかなか果たせない。世界各地を飛び回っているジョン・ポールの行く先々では、悲惨な大量殺戮が次々と起こっていた。しかも、そういった事態を引き起こした当事者にも、どうしてそういう事態にまで発展したのかわからないという状況だった。


 暗殺に何度か失敗した後、作戦の方向性が変わり、暗殺から一転して追跡行を命じられた。潜入したプラハでシェパードは、ジョン・ポールの愛人のルツィアを見張るため、語学の生徒として彼女に近づいた。果たしてジョン・ポールは現れるのか。また、彼は世界各地で何を行っているのか。


 これを読みながら思い出したのが、エルキュール・ポアロシリーズの最後を飾る『カーテン』だ。ここに登場する犯人は、このジョン・ポールとよく似たことを行っていた。ポアロの最大にして最後の敵であるこの犯人は、天性の才能としてその能力を発揮していた。一方ジョン・ポールは、これを器官と捉え、その働きを科学的に解明し、誰もが使えるようにした。そして自分自身の目的のために実行する。


 本筋以外にも、視点を変えた見方が所々で披露されていて興味深い。世界情勢がどんどん変わる中、デリバリーピザは変わらずあり続ける違和感とか、IDで管理されている社会の中で、そのIDから逃れるようにして生きている人々の話とか、戦争が部分的に民営化されていて、民間企業がその一翼を担っている情景とか、戦争などで使われている侵入鞘インストールド・ポッドに使われている人工筋肉は実はイルカの筋肉組織で造られていて、食品などの場合は生産者照合システムでどう作られているかを皆熱心に追跡するが、こういった工業用の素材については無関心だとか、ちょっとした解説が面白い。


 とはいえ、面白いかどうか、作品としてどうかは別として、こうした世界観が良いかどうかというと、反面教師にはなるかもしれないが良いとは思えないので、評価は低めにしておく。『アイの物語』(感想はこちら)の中でアイヴィスは、物語についてこう語っていた。

「それは『正しい』と『信じる』という言葉の定義によるわ。私たちマシンにとって、ある話が真実かどうかはたいした問題じゃないの。大切なのは、それがヒトを傷つけないか、幸せをもたらすかどうかよ。ヒトをまどわせ、憎しみをかきたて、不幸にするのは悪いフィクション。幸せにするのは正しいフィクションよ」『アイの物語』P396より

この定義に照らすと、正しいフィクションとは呼びがたい気がする。


 あとがきを見て、二つのことに驚いた。一つ目は、作者が昨年若くして亡くなられていたこと。二つ目は、作者が私と同じ大学の同じサークルだったこと。在籍していた時期が違うので全く知らなかったが、彼も「ナルキ」や「自己漫」(←内輪ネタ)を描いていたのだろうか。


 才能は別としても、こういった死に向き合う感情を描いた作品は、それに直面していない者にはここまでの緊迫感を持って書けないように思う。説得力がまるで違うのではないだろうか。作者のご冥福をお祈り申し上げます。