『イリアム』

 ハイペリオン・シリーズの著者ダン・シモンズの新作SF。ハイペリオン・シリーズでもジョン・キーツの詩をテクストとしていたが、こちらではホメロスシェークスピアプルーストを筆頭に、ナボコフ、ブラウニング、ウェルズ、それ以外にも大勢の名立たる作家の名作をふんだんに織りこんでいて、何とも壮大な作品となっている。タイトルにもなっているイリアムとは、イリアス、トロイ、トロイアなどとも呼ばれる城塞都市。『イリアム』はここで繰り広げられた有名なトロイア戦争をモチーフとし、ホメロスの『イリアス』をなぞったり逸脱したりしながら、壮大なSFへと仕立て上げられている。


 『イリアム』の世界では、ギリシャ神話に登場する神々は実在している。強大な力を持つこれらの神々にはそれぞれに贔屓の街や人物があり、アキレウスオデュッセウスヘクトルといった英雄達が闘うこの戦争に、様々な形で介入してくる。おかげで戦力は拮抗し、戦争はいつまでたっても決着がつかない。


 本書の語り部役を勤めるホッケンベリーは、神々のひとりであるムーサの指示により、この戦いを10年にわたって観察・記録してきた。彼は20世紀に生きて死んだ『イリアス』を専門に教えていた文学博士だったが、神々の力で蘇らされた。彼は特別な道具をある女神から貸し与えられ、あることを命じられた。ホッケンベリーが介入することで、この戦争は『イリアス』から大きく逸脱しはじめる。


 一方、木星の衛星エウロパに住むモラヴェックのマーンムートは、異常な数値を見せる火星の量子活動の調査のために、他のモラヴェック達と共に現地へ派遣されることになった。火星では、短期間のうちに急速にテラフォーミングが進んでいた。マーンムートの任務は、火星に到着後、同行したモラヴェックを彼の潜水艇で目的地まで送り届けることだった。けれども事態は急変し、代わって任務を果たそうとマーンムートは奮闘する。マーンムートとイオのオラフとの友情が、緊迫感ある状況をなごませている。EQ2をやっていると、マーンムートは「ノーム男性の機械的な格好」でロボット変身した時の姿に思えてしかたがない。


 トロイア戦争の繰り広げられている地球とは異なるもう一つの地球では、人類がすっかり退廃していた。人口は100万人にも満たない状況で、ヴォイニクス達に身の回りの世話をされながら、パーティー三昧に明け暮れていた。人々は文字を忘れ、歴史・芸術・地図の概念など、すべて忘れ去ってしまっていた。


 そんな退廃的な世界で遊び歩いていたデブで女たらしのディーマンは、いとこのアーダのパーティーで、独学で文字を読めるようになったというハーマンに出会った。当初はアーダをものにするために付き合っていたディーマンだったが、ハーマン達との探索行で謎の老女サヴィやオデュッセウスと出会い、不思議な機械や装置に触れたり世界を取り巻いている謎を見聞きすることで、次第に成長していく。


 気になるのはプロスペローやエアリエル、シコラックス、キャリバン、セテボスといった、人間とは異なる知的生命体だ。サヴィの話にはそれらが盛り込まれているのだが、どういう存在なのか断片的にしか語られずよくわからない。ヴォイニクスやモラヴェック、今週のビックリドッキリメカのような緑の小人のゼクなども、造られた経緯などは謎のままだ。「喪われた時代」にいったい何があったのか、気になるところだ。


 時代も雰囲気も全く異なる三つの物語は、複雑にからみながら同時に進行していく。おそらくそれらが最後には収束して一つの壮大なストーリーになるのだろう。とりあえずマーンムートとホッケンベリーのストーリーは繋がった。ディーマン達のストーリーとはまだ繋がっていない。どちらにも登場して来るオデュッセウスが何らかの役割を果たしそうで気になるのだが、時間の流れが同調していないようでもあるので、タイムトラベル等もあるのかもしれない。


 登場人物の多さもかなりのもので*1、複雑さに輪をかけている。謎に包まれていてよくわからない箇所もたくさんある。けれども次から次へと思いもかけない展開が繰り広げられるため、ついつい先へと読み進めてしまう。これだけ複雑なストーリーを見事にまとめているのは、さすがシモンズだ。

*1:ホメロスの『イリアス』になぞらえて、ちょい役でも名前と素性が与えられているのだそうだ