『ラギッド・ガール』

収録作品


「夏の硝視体グラス・アイ」「ラギッド・ガール」「クローゼット」「魔術師」「蜘蛛ちちゅうの王」

 『グラン・ヴァカンス』の続編にあたる短篇集。前作で制約されていたというSF的な設定や、いっさい不明だった現実世界の様子などが補われている。


 評判も高いだけあって、SFとしての質もかなり高く、海外SFと比べてもひけをとらない。特に「ラギッド・ガール」の

人間の意識と感覚は、秒四十回の〜P45より

というくだりと、「魔術師」の

「氷じゃないわ。紅茶よ。」P190より

というくだり。ネタばれ防止ではしょって書くとどこがSFなのかわかりづらいが、シンプルにそぎ落とされた文章の中にSFが凝縮されている。以前読んだ養老孟司氏の著書で、「心」は循環だという意味のことが述べられていた。「紅茶よ。」は、要はそれと同じことを言っているのだが、こうやって展開させるとそれはSFへと早変わりする。もっとも私は養老氏の著書をSFだなぁと思いながら読んでいるけれども。


 仮想リゾート〈数値海岸〉の仕組みもなかなかよく出来ている。仮想現実を扱ったSFはいくつも読んだが、近未来で実現可能かもしれないと思わせるだけの説得力は、それらの中でも群を抜いて高い。身体を捨てて仮想空間にロードして不死を得るという内容のものはよくあるけれども、実際はどうかというと、人間の心と身体は切り離せるような代物ではないと私は思っている。身体と切り離したらそれは別の物となるどころか、おそらく成り立ちさえしないのではないだろうか。しかしここで展開されているドラホーシュ教授のやり方ならば、理論的にもアトラクション経営的にもあまり無理がなく、近い将来にでも実現できるんじゃないか。そんな期待を抱かせる。


 登場人物達も印象的。〈ラギッド・ガール〉こと阿形渓の特異な体質と外観と才能は圧倒的ながら、対照的に美しいアンナ・カスキも負けてはいない。二人に生み出された怪物は何とも強烈だ。特に「ラギッド・ガール」のラストでは、いきなりあんな荒技に出たりして驚かされる。『グラン・ヴァカンス』で展開された残虐さにも納得がいった。軽くて器用で世渡り上手なドラホーシュ教授もいい味を出している。


はてなでID:TOBIで書かれている作者のブログには、『ラギッド・ガール』の裏事情や没バージョンなども書かれている。

「夏の硝視体グラス・アイ

『グラン・ヴァカンス』に登場したジュリーとジョゼの出会いの物語。〈大途絶〉はすでに起きた後。二人は区界の他のAI達を癒すという特殊な能力を持つ。けれども自分自身を癒すことはできない。ジョゼの心の傷を癒そうとしたジュリーは、ジョゼの記憶を体験する。『グラン・ヴァカンス』と『ラギッド・ガール』を繋ぐ物語となっている。『グラン・ヴァカンス』で活躍した硝視体のテイルは、このとき誕生している。

「ラギッド・ガール」

〈数値海岸〉の開発過程を描いた物語。サービス開始の2年前にあたる。何といっても阿形渓のキャラクターが圧巻。特異なのに臆することなく我が道を進んでいるのがいい。〈情報的似姿〉という考え方も面白い。阿形渓のつくったソフトウェアの阿雅砂は、消費のされ方がエヴァンゲリオン綾波レイによく似ている。またアンウィーヴという着せ替え人形のように楽しめるソフトウェアも面白そうだ。ラストの唐突な終わり方は、日本の民話なんかに通じるものがあるように思う。「ろくろっ首」などもそうだが、恐怖を畳み掛けて突然終わり、その後の余韻が恐い。

「クローゼット」

「ラギッド・ガール」から7年後にあたる。〈数値海岸〉が稼動して5年後。主人公のガウリ・ミタリはここのプログラミングに携わっていて、『グラン・ヴァカンス』に登場したメンテナンスツールの〈蜘蛛〉も彼女の発案。彼女は〈数値海岸〉に組み込まれる「恐怖」のコンペに参加する。同居していたカイルが仮想リゾートのデッキを利用中に謎の死を遂げたことで落ち込んでいたガウリは、彼の死の原因を探ろうとする。恐怖が次第に〈数値海岸〉に忍び寄っていく様子が恐い。「ラギッド・ガール」時には、科学や文化の水準は現在とたいして変わらなかったが、ここでは少し近未来っぽくなっていて、〈数値海岸〉に利用された技術が生活に根付いている様子が描かれている。

「魔術師」

〈数値海岸〉の区界のひとつ〈ズナームカ〉と、現実世界の両方が舞台。謎だった〈大途絶〉が、〈数値海岸〉側と現実世界側の両方から描かれている。ここの特産である鯨(中をくり抜いてホテルやカジノに仕上げられる)の工場体験に参加したレオーシュが〈ズナームカ〉側での主人公。彼はここで実験のモルモットにされている1人の少女と出会う。一方現実世界の側では、アンチ〈数値海岸〉でAIの人権擁護活動をしているジョヴァンナ・ダークへのインタヴューで綴られる。どんなに思い入れたとしても、AI側の視点に立って活動するのは所詮生身の人間には無理ではないかと思って読んでいたら、そうではないところへ話が転がっていった。

蜘蛛ちちゅうの王」

〈数値海岸〉の区界のひとつ、〈汎用樹オムニ・ツリーの区界〉が舞台。〈大途絶〉から10年後にあたる。『グラン・ヴァカンス』にも登場したランゴーニは、この世界で蜘蛛の王として君臨している。現実世界の人間の遺伝子を元に、王となるべく生まれたランゴーニの成長過程が描かれている。彼の〈父〉により〈数値海岸〉にもたらされたものが〈夏の区界〉の崩壊と関係しているようだけれど、まだどう繋がっていくのかわからない。未刊の一冊では、ランゴーニはこの解き放たれた何かと闘うのだろうか。まだ正体のわからない〈非の鳥〉も気になる。