『サイバラバード・デイズ』
- 著者:イアン・マクドナルド
- 訳者:下楠昌也・中村仁美
- 出版:早川書房
- ISBN:9784153350038
- お気に入り度:★★★★★
新☆ハヤカワ・SF・シリーズの第三回配本。ディック賞特別賞受賞。イアン・マクドナルドといえば、かつて『火星夜想曲』(感想はこちら)がむちゃくちゃ良かった記憶がある。だからこの作品も自動的に購入。どんな内容かも確かめずに購入したのだが、これが期待していた以上にすばらしい内容で大満足だ。
収録されているのは、21世紀なかばのインドを舞台とした連作短篇SF。『ねじまき少女』(感想はこちら)といい、昨今のSFはアジアを舞台としたものが流行しているのだろうか。ここで描かれた未来のインドは、小さな国家に分裂してしまっている。中心となる国はバラットとオウド。この二つの国は水をめぐって対立し、AIに対するスタンスの違いでも対立している。他にもベンガル合衆国、ラージプタナ、マラータ、カルナタカなどの名前が上がっているが、いくつに分裂していてどういう名前となったのかがいまひとつわかりづらい。せめて巻頭に地図をつけてもらいたかった。
分裂してしまったこれらの国では、水戦争が勃発し、AIが飛び回る。人々は新しいテクノロジーの、ライトホーク(耳の後ろに装着して感覚に直接働きかける)と〈
また、男性でも女性でもない第三の性別ヌートや、遺伝子操作でさまざまな才能を付与されたブラーミンが独特の存在感をはなっている。とりわけ、普通の人間の2倍の寿命を持つよう設計されたブラーミンがグロテスクだ。長生きが出来て良いように思えるが、実際には普通の人間の半分の速度で歳をとる。18歳くらいになると社会的には大人と同じ扱いを受けるのだが、身体は9歳の子供のままだ。それなのに大人の欲望や能力を持っている。
これらの7篇から、猥雑で活気に満ちた未来のインドの歴史が少しずつ見えてくる。歴史の流れが大きく変わり、人間のあり方までもが変化しようとする時代を背景に、流行に翻弄されつつもたくましく生きていく人々の様子が描かれている。
とりわけ、最後に収録されている「ヴィシュヌと猫のサーカス」がすばらしい。この短さにさまざまな要素が盛り込まれている。それに語り口がすばらしい。名作『デイヴィー 荒野の旅』(感想はこちら)にも似た、聖俗あわせ持った不思議な魅力のある語り口だ。この一作でこの短篇集は、壮大なスケールへと一気に突き抜けている。
この短篇集があまりに良かったので、同じ世界観で書かれたらしき長篇『River of Gods』もぜひ翻訳してもらいたいと思う。
「サンジーブとロボット戦士」
巨大ロボットを遠隔操作して戦争するバラットの戦士たちと、それにあこがれる少年の物語。主人公サンジーヴは日本のロボットアニメに夢中で、ロボット戦士にあこがれていた。ロボット戦士たちと知り合うことができ、誘われて彼らの身の回りの世話をする仕事に就いたサンジーヴだったが…。時代に翻弄される花形職業と、戦争の実態が描かれている。ファッションとして一瞬だけリバイバルするのが哀愁を誘う。
「カイル、川へ行く」
主人公カイルの父親は、多国籍軍としてバラットへやって来て、まだ出来たばかりのこの国のために働いている。軍の居留地から出たことのないカイルが一番仲良くしていたのは、サッカーのうまいバラット人のサリムだった。しかし、居留地の外では不穏な状況が続いていて、サリムに対する差別を口にする者も出始めた。カイルはひとりで居留地の外に抜け出して、現地で暮らす人々の様子を目にする。少年の目を通して居留地とはまったく異なるインドの様子が生き生きと描かれている。けれどもカイルを取り巻く状況は容赦がない。
「暗殺者」
主人公のパドミニは、水利権を持つジョドラ家の娘。一族は水利権をめぐってアザド家と長年対立していた。送りこまれる暗殺ロボットを警戒し、警備メカに厳重に護られて暮らすパドミニ。また、父親からは「お前はアザド家に復讐するための武器だ」と言い含められて育ってきた。ジョドラ家の滅亡とともに水戦争が勃発。パドミニは武器としての本領が発揮できるのか…。フェロモンなどを使った近未来的な暗殺合戦と、それとは対象的な占いや儀式といったものが共存しているのが面白い。また、ヌートの暮らしぶりなどが紹介されていて興味深い。舞台となる国はおそらくバラット。
「花嫁募集中」
性別の産み分けが簡単になったオウドでは、男性の人数が女性の4倍にもなるため、適齢期の青年たちは必死で婚活を行っている。主人公のジャスビールも婚活に明け暮れる。彼の家に居候しているスージャイは、《タウン・アンド・カントリー》のキャラクター・デザインをプログラムする職業に就いていたため、この技術を使って婚活コンサルティングAIを創り出した。このAIの助言に従って、ジャスビールはディーペンドラをデートに誘うが…。 AIの助言には女性の視点から見ると的確なものも多い。現実世界でもこうした助言はちゃんと活かしてほしいものだ。
「小さき女神」
ネパールでは、生きた女神クマリは少女たちの中から選ばれる。クマリに選ばれた「わたし」が、クマリとしての生き方と、その役目を終えた後の生き方を模索する物語。
女神だったものがただの人となった時、どう生きるのか。クマリは血を流すとその資格を失ってしまう。彼女たちは子供の時代を女神として過ごし、思春期でその資格を失って、残りの長い人生をただの人として過ごすことになる。さらに、元クマリだったものは「クマリの呪い」と呼ばれて忌避される。結婚仲買人に連れられて婚活の盛んなオウドへと向かった彼女は、スーパー・エリートでアンタッチャブルな階級でもある遺伝子操作されたブラーミンの一人と結婚する。
そこからの彼女の人生がなかなか壮絶で面白い。かつて女神だった彼女がAIたちの助けを借りて、ようやく見つけた彼女らしい生き方とは。
「ジンの花嫁」
AIと結婚したダンサーの物語。AIをジンに見たてた語り口が、インドっぽくていい感じ。オウドが建造を計画している巨大なダムをめぐって交渉中のオウドとバラット。これにたずさわっていたA・J・ラオは、バラットの外交官でAIだった。オウドのダンサー、エシャの元に彼が現われ、彼女の熱狂的なファンだと告げる。やがて二人は結婚した。
しかし、オウドはハミルトン法協定を批准しようとしていた。これが通ればレベル2.8以上のAIは禁じられることになり、レベル2.9であるA・J・ラオはこの国では生きられない。AIを狩るクリシュナ・コップがエシャに接触してきて…。
次第に驚異的でジンとしての本領を発揮していくAIの様子が興味深い。また、AIとクリシュナ・コップとの対決も読みごたえがある。その後、巨大なダムは建造されて、水戦争が勃発。
「ヴィシュヌと猫のサーカス」
「小さき女神」では遺伝子操作されたブラーミンのグロテスクさが前面に出ていたが、本作ではそのブラーミンが主人公。ブラーミンの側から見た彼らの苦悩や生き方が描かれている。
ヴィシュヌは遺伝子操作で能力を強化され、ブラーミンとなるべく受胎させられた。認可されたばかりの寿命延長もそれに含まれていた。ところが、兄のシヴァは遺伝子操作されていなかったために、兄から憎まれるヴィシュヌ。二人は成長し、ヴィシュヌは子供の外見のまま結婚した。やがて政治にたずさわる。一方シヴァは、バラットで就職した。オウドの巨大ダムは間近に完成を控えていて、バラットとの緊張は高まっていく。勃発する水戦争。この物語は、人間がAIに対立する物語でもあるし、二人の兄弟の確執の物語でもある。
「ジンの花嫁」で登場したAIの脅威は、ここではさらにエスカレートして登場している。ナノ化し、クラウド化するAIたち。このネーミングだけでツボにはまれる〈iダスト〉。ラストでは、シンギュラリティは迎えるは、並行宇宙は登場するは、光の柱はそそり立つは、玉なしヒーローはAIと対決するはで、あまりにスケール大きく広がって、むちゃくちゃ面白かった。
未来の予想として、このフレーズが気になった。
インドの富が買った最初の西洋的な贅沢、プライヴァシーの時代は終わりを告げる。P405より
物語で使われている意味とは異なるが、今でも、Googleによって家の周辺の画像は全世界にさらされ、Facebookで学歴や会社や友達がさらされ、Twitterで親しい友達につぶやいたつもりの言葉は全世界にさらされる。こういう時代はやがて来るのかもしれない。