『虚構機関』

あらすじ

2007年は、日本SFのゆりかご〈宇宙塵〉創刊からちょうど50年。日本で初めて世界SF大会が開かれた記念すべき年でもあり、新たな出発点にふさわしい。ちなみに日本SFの総合的な年次傑作選は、筒井康隆編『日本SFベスト集成』以来32年ぶり。編者の手前ミソながら、SFファンのひとりとして、この企画が実現したことを心から喜びたい。SFは元気です。 大森望

序文より
収録作品

「グラスハートが割れないように」(小川一水)、「七パーセントのテンムー」(山本弘)、「羊山羊」(田中哲弥)、「靄の中」(北國浩二)、「パリンプセスト あるいは重ね書きされた八つの物語」(円城塔)、「声に出して読みたい名前」(中原昌也)、「ダース考」「着ぐるみフォビア」(岸本佐知子)、「忠告」(恩田陸)、「開封」(堀晃)、「それは確かです」(かんべむさし)、「バースディ・ケーキ」(萩尾望都)、「いくさ」「公転」「星座から見た地球」(福永信)、「うつろなテレポーター」(八杉将司)、「自己相似荘(フラクタルハウス)」(平谷美樹)、「大使の孤独」(林譲治)、「The Indifference Engine」(伊藤計劃

 これから電車に乗るところなのに、未読の本がない。このままでは家に帰れない。そこで本屋で物色して買った一冊。2006年に日本で発表された短篇SFのアンソロジーだ。基本的に日本人作家も短篇もちょっと苦手なので、買いそびれていたものだ。


 個人的に一番の目玉は、何といっても萩尾望都である。小説の中に漫画が収録されているのは珍しい。萩尾望都らしい、ドタバタでちょっとホラーなSFだ。

ネットとは
別に
街中の
ショッピングは
歩いて
楽しめる
遊びだ


遊園地に
似ている
P284より

 こういう何気ないモノローグに彼女のSF感覚の鋭さが現れている。買い物はネットでするのが普通であり、店舗に出向いてのショッピングには、物珍しさや特別なイベント感が伴う。そんな未来の生活の様子が、この一文に凝縮されている。


 少し驚いたのは、「主体がない」=「心がない」としている作品が2作もあったことだ。「七パーセントのテンムー」と「うつろなテレポーター」である。主体が希薄な人は私の周りにもけっこういる。それに対して「主体がない」ことが「心がない」ことだとは全く思ったことがなかったので、同じ発想の作品が同じ年に2作も書かれて収録されていることに驚いた。


 もっとも一作は「主体がない」=「心がない」が間違いだとSFネタで否定しているし、もう一作は「主体がない」対象は人工的に創り出されたシミュレーションの人格なので、人間とはまた異なるだろう。作者達は現状の社会の中から、こういうことを書きたくなってしまう何らかのひっかかりをキャッチしたのかもしれない。実際私自身も主体にまつわる違和感について、ここ数年で何度も書いている。こういった、その時々の流行廃りが反影されていることが、年次毎のアンソロジーを編む意義と言えるだろう。


 「着ぐるみフォビア」は、着ぐるみと中の人とのギャップを描いた作品で、〈“ランド”の住人〉となれる着ぐるみのことが書かれている。ちょうどこれを読んだのが、ディズニーシーへ向かう途中の電車の中だったので、とてもタイムリーだった。


 伊藤計劃は最近目にすることが多く気になっていた作家だが、作品はまだ読んだことがなかった。「The Indifference Engine」はシビアなテーマを扱った作品で、安直で押し付けがましい解決策が無力なあたり、なかなか興味深かった。