『無思想の発見』

 「自分には思想なんかない」という思想。これこそが多くの日本人の持つ思想だと著者は指摘する。思想は日本では現実に影響を与えてはならないんだそうである。


 収穫だったのは、自分自身というものの範囲の変遷についての指摘だった。

日本の世間における、私というものの最小の「公的」単位、それは個人ではなく「家」だった。日本の世間は「家という公的な私的単位」が集まって構成されていたのである。(中略)新憲法はそこに「個人」を持ち込んだ。つまり「自分」が最小の私的単位だと、公に決めたのである。P22、23より


 私はこれを読んで非常に納得がいった。というのも、以前から自分自身と他人との境界があいまいな人がいることには気がついていて、不思議に思っていたからだ。そういう人達はいとも容易く、自分の外部に自分自身を投影しているように見える。そもそも自分と他人とを区切るという風習自体がなかったのだとすると、非常に理屈が通る。