『山本七平の日本の歴史』

 以前にも少し書きましたが(こちら)、日本人が無意識で信じている思想が、本書では「日本教」として書かれていておもしろいです。これは非常に核心をついていて、『プラネテス』4の理解できない展開も、これに当てはめると分かる気がしました。タナベが孤児だというエピソードがなぜ必要だったのか、これを読んで合点がいきました。


 記憶を頼りに書いているので少しあやふやですが、彼の指摘する「日本教」がどういったことなのか、少し挙げてみます。

  • 自らを「欲望などから切り離された無重力状態である」「利害関係から切り離された無菌状態である」と信じ、「道」との緊張関係にある状態を好む。そしてその状態を「人間的」であると感じる
  • 「道」をつらぬくためには、少しぐらいひどいことをやっても仕方がない
  • 「道」の内容そのものには関心がない
  • 去私に惹かれる
  • 死者の時を生きていて、生存している言い訳をしながら生きている

 現在の日本の犯罪や、社会の問題には、この思想が大きく関わっていると感じます。また、「道」の対象は次第に私的で身近なものへと変遷していっているように感じます。「お国のために」から「企業のために」へとうつり変わり、今では自分自身の「趣味嗜好のために」となってきているように思います。おそらく趣味嗜好でさえも、「道」を掲げてさえいれば、自分の欲望や主体を感じずにすむのだろうと推測します。けれども自分自身の「道」を決めているのは自分自身の主体であり、どこまでいっても矛盾してしまいます。