『月は無慈悲な夜の女王』

あらすじ

2076年7月4日、圧政に苦しむ月世界植民地は、地球政府に対し独立を宣言した! 流刑地として、また資源豊かな植民地として、月は地球から一方的に搾取されつづけてきた。革命の先頭に立ったのはコンピュータ技術者マニーと、自意識を持つ巨大コンピュータのマイク。だが、一隻の宇宙船も、一発のミサイルも持たぬ月世界人が、強大な地球に立ち向かうためには……ヒューゴー賞受賞に輝くハインライン渾身の傑作SF巨篇!

 ハインラインの代表作のひとつ。新装版が出ていたので買ってみた。私がこの作品を初めて読んだのは、おそらく高校生くらいの頃だった。数あるハインラインの作品の中でもこの作品は、『夏への扉』と並んで好きな作品だ。


 タイトルがとても良く、印象的。また、自意識を持つコンピュータのマイクロフトが人間くさくて個性が際立ち、記憶に残っている。月で起こる革命運動に、このコンピュータのマイクが加わり、活躍する。私が覚えていた内容はこの程度。ちなみに、「マイクロフト」とはシャーロック・ホームズの兄の名前に由来している。


 改めて読み直してみると、書かれた時代からの技術の変化を大きく感じる。マイクはパンチ穴のあいた紙を出力する「計算機」だし、パソコンもインターネットもなければ携帯電話もメールもない。マイクとも、ハードが設置された場所で話すか、固定電話で話すしかない。全体を通して非常にアナクロのイメージがぬぐえない。けれども、そんなことは気にならないくらい、この作品はたいへん面白い。これはひとえにハインライン節がたいへん面白いからだ。


 プログラマーのマヌエルは、月を管理する計算機に自意識があることに気がつき、友達となった。ある会合で事件に巻き込まれたマヌエルは、革命家のワイオを助け出す。マイクに計算させたところ、月が地球から独立しなければ、7年後には月の資源は枯渇するという答えが出た。


 会合に出席していたマヌエルのかつての教授も加わって、革命運動が始められた。これを成功させるためには、マイクが革命に加わることが必須だ。それでも当初の勝算は、7に1つの割合だった。月が地球に加え得る攻撃手段は、石をぶつけること。こういう発想がいかにもハインラインらしい。マイクはアダム・セレーネという偽名で電話を通じて指揮をとり、3人と1台を中核に、革命運動は次第に広がっていった。


 なんといってもキャラクターが活き活きとしていて魅力的だ。物語はマヌエルの一人称で進められる。この語り口が絶妙なのだろう。テンポがいいし口調がいい。陽気で、開けっぴろげなお色気があり、ユーモアにあふれている。ジョークが好きで人間くさいマイクの個性や、明るくセクシーで自立しているワイオ、緻密な参謀の教授といったそれぞれの個性も際立っている。


 また、マヌエルの結婚の形態が変わっていて面白い。家系型結婚というこの結婚形態は、複数の夫と複数の妻で構成されている。マヌエルがこの家族に夫の候補者として選ばれたのは14歳の時。夫が6人、妻が5人、子供が17人の大家族で、物語が進むうちにも家族はさらに増えていく。厳格な家庭のルールがあり、シニア・ワイフのマムがこの家族をうまく切り盛りしている。この一風変わった家族のあり方も、この物語の中では見所の一つだろう。


 月での風習も見逃せない。月での生き方の基本は「タンスターフル」。これは「無料の昼飯などというものはない」の頭文字をとって作られた造語で、月では空気さえも無料ではない。タダのものはないのだ。この考え方は作品を通して何度も語られている。月には法律はないが、慣習から生まれた自然法があり、これに背くと誰からも相手にされなくなる。現実に適応できない者は、月では死ぬしかないのだ。


 他にも、流刑地だった月では女性が少ないため女性の意思は何よりも尊重されるとか、普通の月世界人が興味を持っているのは、ビール、賭けごと、女、仕事でその順番どおりとか、殺人するなら家族とちゃんと相談しあってどうするか決めましょうとか、猛々しくも誇り高く現実的な月世界人の生き方が魅力的に描かれている。


 どんなあらすじだったかたいして記憶になかったが、読み進めていると結末がどうなるか何となく予測がついてきて物悲しくなった。意外と覚えていたらしい。コンピュータが意識を持つということが今後はたして実現するのかどうかわからないが、そんなことは別として、マイクの愛すべきキャラクターが際立った作品だ。