『万物理論』

あらすじ

万物理論”とは、すべての自然法則を包み込む単一の理論である。2055年、この夢の理論が完成されようとしていた。ただしその学説は3種類ある――3人の物理学者が、それぞれ異なる“万物理論”を、南太平洋の人工島で開かれる国際理論物理学会で発表するのだ。もちろん正しい理論はそのうちひとつだけ。科学系のジャーナリスト、アンドルーは、三人のうち最も若い20代の女性ノーベル賞物理学者を中心に据えて、この理論の番組を製作することになったのだが……。学会周辺にはカルト集団が出没し、さらに学会周辺にはカルト集団が出没し、さらに世界には謎の疫病が蔓延しつつあった。当代随一の鬼才作家が描写する恐るべき未来社会。究極のハードSF。

扉より

 イーガン哲学が随所にちりばめられた濃密なハードSF。SFとしても面白いけれど、それ以上にこのイーガン哲学がたいへん面白い。思索好きの方にぜひ読んでもらいたい作品なのだが、SF部分がかなりとっつきにくいので、SFを読まない人に勧めるのはためらわれる。


 SFガジェットや哲学的なネタを除くと、あらすじ自体はそんなに複雑なものではない。


 時代は2055年。主人公アンドルー・ワースは科学ジャーナリスト。アンドルーは視神経タップで撮影ができ、腸にメモリチップが埋め込まれている。彼はインタビューから撮影、編集まで1人でこなす。


 物語は、死者を医学の力で一時的に復活させ、殺人犯を見なかったかと尋問するシーンから始まる。これはアンドルーが制作している「ジャンクDNA」という番組のための取材である。この取材自体もなかなかうなされそうなシーンだが、その他の取材(ヒトゲノムを綴り変え、体内に共生生物を仕込んで、どんな環境でも生き続けられるように自分自身を改変した超富豪や、脳に外科手術で損傷を加える権利を求める自発的自閉症者の取材など)でも精神的に参ってしまったアンドルーは、プライムタイムで世界同時放送予定という大きな番組の制作を断ってしまう。それは「ディストレス」という新種の奇病を扱った番組で、患者は急速に増えつつあった。


 代わりに引き受けた万物理論TOE)の番組制作は、専門外ではあるが数式がメインでトラウマを感じずに済みそうだった。この理論は完成が間近とされていて、アインシュタイン没後100周年会議において、3人の物理学者による発表が行われることになっていた。アンドルーはその中の一人ヴァイオレット・モサラのドキュメント番組を制作するために、この会議の行われる、ステートレスという、工学産の人工珊瑚でできた島にやってきた。3人の説のどれが正しいのか、結論はまだ出ていない。しかしその結論をめぐってある陰謀が進行しており、やがてアンドルーも巻き込まれ、命をも狙われる羽目になる。そして事態は二転三転し、ひとつの問いへと収束する。


 こんなあらすじに、イーガン哲学とも言えるさまざまなエピソードが織り込まれている。これらがとても面白い。あるテーマが少しずつ形や視点を変えながら展開していて、事例集のようになっている。一見物語には無関係に見えるが、実はこれらが最後の問いに収束されていて、重要な役割をになっているのだ。読者はこの問いで、自分の経験に基づいて自分で結論を出すよう、突きつけられてしまう。そこで慌てて振り出しに戻って、もう一度読み直す羽目に…。


 中でも興味深いのが、ラマント野を切り離した生き方の提唱だ。脳のこの器官は、脳全体に散らばった個々の他人に関する記述を自動的に統合して解釈する唯一の場所だという。この器官が損傷を受けると、その度合いに応じて自閉症者となる。《自発的自閉症者協会》はこのラマント野を完全に切除する権利を求める団体で、これを切除することでより良く生きられると主張する。切除することで愛情を求める欲求と愛情を得る能力のバランスがとれ、求めても得られないという事態に煩わされる必要が無くなると言うのだ。


 同じことが形を変えて、ジェンダーの問題としても語られる。アキリ・クウェールは、性的特徴や性欲を除去した「汎性」という中性的なジェンダー*1。アキリは、性的特長を除去することは何かを手放すというものではなく、ノイズを減らしているに過ぎないと主張する。自分の人生が生化学的なトリックに左右されるのを好まないので、より良く生きるために切り捨てることを選択したのである。


 他にも、国家を語る人々にうんざりして国家を切り捨てた無政府主義者や、「信仰をいだいたまま成長することは、足が悪くないのに松葉杖にすがって成長するようなものだ」と語る無神論者など、似たようなエピソードは形を変えて展開されている。また、切り捨てないまでも、個々の違いを無視して属する分類(人種・国・性別・宗教・健康etc)の特長のみでひとまとめにされて他者から語られることに、倦んでいたり怒っていたりする人々の事例もたくさん挙げられている。


 アンドルーも自分の思い込みによる決め付けを自覚できるようになるまで、さまざまな失敗を重ねている。恋人とのやりとりなどはこんなに明白なことがなぜ理解できないのか不思議でならないし、「押し付けがましいHワード」(これなどもとても興味深い)についても失言を指摘されてしまう。


 最終的に提唱されているのは、真理を見据えて生きることである。すべてのものは、TOEに支配されている。

愛情とは、自分が愛している人々を、自分自身を理解するのとほとんど同じかたちで理解できるという信念にほかならず、その信念をもてば脳から快楽という報酬をもらえるわけです」P89より

ラマント野が生み出しているのは幻想にすぎないかもしれないということを認識し、それを切り捨て翻弄されずに生きる生き方。確かにそれもひとつの選択肢で、幻想に苦しみながら生きるよりは、ノイズを切り捨てた方がより良く生きられる場合もあるのだろう。

*1:他にもここに登場するジェンダーには、強化男女(性的特長を強化した性)、微化男女(性的特長を和らげた性)、転男女(精神的性転換または肉体的性転換をした性)、純男女(人工的な手を加えていない性)が存在している