『魔法』

あらすじ

爆弾テロに巻き込まれ、記憶を失った報道カメラマンのグレイ。彼のもとへ、かつての恋人を名乗るスーザンが訪ねてきた。彼女との再会をきっかけに、グレイは徐々に記憶を取り戻したかに思われたが……南仏とイギリスを舞台に展開するラブ・ストーリーは、穏やかな幕開けから一転、読者の眼前にめくるめく驚愕の異世界を現出させる! 奇才プリーストが語り(=騙り)の技巧を遺憾なく発揮して描いた珠玉の幻想小説

カバーより

 レールの上を常に移動し続けなければならない都市がとても印象的だった『逆転世界』。こんな奇抜なSFを書いたプリーストが、昨年は『奇術師』という作品で話題になり注目された。その人気に乗っかるようにして、この『魔法』も文庫化されたので、とりあえずこちらから買ってみた。ジャンルとしてはファンタジーにあたるのだろうか。といってもけっこう濃密な恋愛小説なので、子供向けではなく大人向けだ。また、小説としての趣向を凝らしたトリッキーな作品である。


 物語は最初、ありきたりの恋愛小説のように進む。事件に巻き込まれて記憶を失い入院中のグレイの元に、目立った特長のない女性スーザンが訪ねて来る。彼女のことを覚えていなかったグレイだが、二人は恋人同士だったらしい。催眠療法を受け、グレイはしだいに過去を思い出す。


 まずグレイの思い出した過去が、グレイの一人称で語られる。イギリスに住むグレイは休暇でフランスに出かけ、やはりイギリスから来たスーザンと出会って意気投合した。二人は一緒に旅を続ける。しかし、スーザンには別れたいのに別れきれない恋人ナイオールがいて、彼の存在感が二人の関係に影を落としていた。グレイの語りでは、変哲のない三角関係である。


 しかしこれがスーザンの視点から彼女の一人称で語られると、まったく別な世界が広がってくる。一転ファンタジーとなり、「魅する力」という不思議な能力を持つ人々の、異質な世界と苦悩が描かれている。彼女の語る二人の関係は、やはりナイオールの存在が影を落としているものの、細かい点でグレイの記憶とも異なっている。現実の世界とファンタジーの世界、どちらの記憶が正しいのか、読者は翻弄される。現実とファンタジーの重なり具合は、なんとなくダイアナ・ウィン・ジョーンズ作の『九年目の魔法』と似ている。


 ラストで作者の技巧が冴える。客観的と思っていた視点が実はそうではなかったと気付かされるあたりが腕の見せ所だ。とはいえ、「そう来たか」とうならされはするものの、それ以上に印象に残るものがあまりない。テクニックが先走り過ぎて、中身をすぐに忘れてしまいそうだ。それというのも、ファンタジーの世界観そのものにあまり面白みがないこと、人間関係が生々しすぎることなどがあげられるだろうか。私の興味の方向性とはちょっと違っているのだろう。私にとっては『逆転世界』の方がはるかに印象に残っているし、面白かった。けれども一般的にはこちらの方がずっと読みやすいように思う。