『白い果実』
- 著者:ジェフリー・フォード
- 訳者:山尾悠子・金原瑞人・谷垣暁美
- カバー装画:松崎滋
- 出版:国書刊行会
- ISBN:9784336046376
- お気に入り度:★★★★★
悪夢のような理想形態都市を支配する独裁者の命令を受け、観相官クレイは盗まれた奇跡の白い果実を捜すため属領アナマソビアへと赴く。待ち受けるものは青い鉱石と化す鉱夫たち、奇怪な神を祀る聖教会、そして僻地の町でただひとり観相学を学ぶ美しい娘…
帯よりまず、装丁が素晴らしくて手に取った。緻密な点描のイラスト、帯の書体、紙の質感など、本屋の店頭でなんとも言えない存在感を放っていた。後記によると、この本の文体を活かすために、一度日本語に翻訳されたものを、山尾悠子さんにより独特の文体へと移しとられたのだという。この作品に対する訳者の方の思い入れの強さが伝わって来る後記だった。こんな後記のある作品は、私の経験ではたいてい優れた作品であることが多い。
実際読んでみると、不思議な世界観が構築されていて素晴らしい。世界幻想文学大賞を受賞したのだそうだが、確かにファンタジーというよりは幻想文学と呼ぶのにふさわしい。繊細で魅力的で無気味な要素が次々と登場し、それらが独特の雰囲気を作り上げている。
例えば、歳を経ると青い鉱石となって固まる鉱夫たち、精密で独特な器具で測る観相学、植物と人間の中間の〈緑人〉、地上の楽園〈ウィナウ〉、そこから来たという、人間とは異なる〈旅人〉、〈白い果実〉を得るにいたった不思議な冒険の〈断片〉、〈美薬〉の見せる幻覚、機械仕掛けの発明品や、頭の中に歯車や
一風変わった都市である理想形態市は、支配者のドラクトン・ビロウにより建造された。この都市には、ビロウの記憶が物体に置き変えられ、飾られているという。彼の知識は膨大で、宮殿ではこと足りず、都市が必要だった。アナマソビアは理想形態市の
長の歳月に渡って私は
両脚測径器 を開き、面の皮一枚に〈魂〉を探索してきた。にんげんの顔をひと目見れば、私の心には次から次へと驚嘆の思いが雲のごとく湧きおこる。私にとって鼻は叙事詩、唇は芝居、耳は巻を重ねて人類の転落を書き綴った史書に等しく、また双の眼に至ってはそのあるじの人生そのものだ。P7より
観相学の心得のある美しい女性アーラを助手にし、クレイは町中の人を観相することで、犯人を探そうと試みる。しかし彼の常習する〈美薬〉は幻覚を見せ、また人間ではない不思議な木乃伊を観相したことを期に、クレイは転落し始める。
この物語は主人公のクレイの一人称で進められている。彼の主観で物語は描写されているのだが、このクレイが前半はどうしようもないほど嫌なやつである。周囲の誰をも蔑み、誰に感謝することもなく、自分が一番だと思い込んでいる。特に観相学を適用しながら誰かについて説明する際、ことごとく他人を蔑む描写が繰り返される。こんなに誰からも嫌われるであろう人物の視点から語られる物語というのも珍しいように思う。
けれども彼のその傍若無人さは、おそらく、真実に気づくのを恐れて自分自身すら欺いている結果なのではないかということが、何となく読み取れる。自分のしていることを無意識では理解していながらも、他人を蔑まなければ自尊心を保てず、自分を支配しているビロウの抑圧にも耐えかねるのだろう。必死で自分を美化する様子は哀れですらある。また依存した麻薬のために見る幻覚は、良心の呵責が見せる亡霊だ。彼が後半に自分の行いを悔い、反省して態度を改めることがせめてもの救いだ。人は自分で変わらなければと思わない限り変わらない。成長しようと自分で努力しない限り、未熟なままだ。
この物語は、さらに『Memoranda』、『The Beyond』と続いているらしい。おそらくこの2冊は、この世の楽園〈ウィナウ〉のことが描かれていくのだろうと思う。本作だけでは謎が明かされなかった箇所は多々ある。今後がどうなっていくのか気になるところだ。
最後にこのフレーズがなかなか良かったので紹介したい。
ある日、私は旅人に尋ねた。「この世の楽園というものは、ほんとうに存在するのだろうか?」
「もちろん」
「どこに? それはどんなところだ?」
すると旅人は弓を置き、穏やかな眼差しで私の目を覗き込みながら言った。「私たちはそれに向かって旅をしている。この世の楽園とはこんなものだろうと君が思うもの――それがこの世の楽園だ」P336より