『鋼の錬金術師』(1〜7)

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 まっとうなことを、きちんとわかりやすく描いた漫画で、とても良い。錬金術という題材は扱い次第でオカルトチックにもファンタジーにも転べるが、ここでは原理原則をきちんと持った科学的なものとして扱われていて、けっして便利で楽な超常的な力として描かれてはいない。


 ここでの錬金術の基本となる原理原則は「等価交換」である。質量が1のものからは1のものしかできず、また同じ性質のものしか練成できない。何かを得ようとするならばそれと同等の代価を払わなければならない。この理念は繰り返して登場し、この漫画のテーマともなっている。


 主人公エドワード・エルリック国家錬金術師として「鋼」というふたつ名を授かっている。彼は弟のアルフォンスと共に「賢者の石」を探している。失われたアルの身体と自分の右手左足を元に戻すためである。


 ここでは錬金術で人体練成をすることは禁忌となっている。それは錬金術の基本原則である自然の流れにも逆らう行為だからだ。にもかかわらず、エドとアルは死んだ母親を錬金術によってよみがえらせようと試みた。しかし大きな失敗に終わり、エドは左足を、アルは身体をまるごと失った。足を失った状態のエドが「こんなはずじゃなかった」と苦悩する凄惨なシーンからこの漫画は始まる。そこに

痛みを伴わない教訓には意義がない
人間は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから1巻P5より

というナレーションが入る。エドは自分の右手を犠牲にし、血みどろになってアルの魂を鎧に定着させた。そして元の身体に戻る方法を探して、二人は旅を続ける。これは犯した罪をあがなう旅である。


 第2話のラストが私は特に気に入っている。まがい物の宗教に依存してしまい、よりどころを失って途方にくれる少女にエドは言う。

立って歩け 前へ進め あんたには立派な足がついてるじゃないか1巻P92より

簡潔でわかりやすく自立をうながしていてかっこいい。


 二人の兄弟の進む道は険しく厳しく、時には自分の無力さに打ちのめされながらも、決意を持って進んでゆく。楽することがいいことだとか、努力しなくても天才だとか、正の部分ばかり描いたものは多いし、直視しづらい負の部分は隠そうとする傾向が強いが、正の影には並々ならない負の部分があり、だからこそ正の部分が輝くのだとするこの漫画の姿勢は、とても貴重だと思う。


 等価交換の思想が生きている例を、目につくままにあげてみるとこんなところ。

  • エド錬金術の天才的な技術の影には人並みはずれた努力と集中力がある。
  • 国家錬金術師という地位には膨大な研究費と特権がついているが、召集されれば絶対服従で人間兵器として人を殺さねばならないし、査定もある。
  • 食べるためには他の動物を殺さねばならない。
  • 死んだものは生き返らない。失った手足は元には戻らない。
  • 誠意には誠意で応えなければダメ。
  • ペットを飼う資格も条件も揃ってないのに動物を拾って来てはダメ。
  • 生きる可能性を捨てて死ぬ方を選ぶのは許さない。

これらをきっちり言葉で簡潔に説明してあり、説得力があって良い。


 ベストセラーとなった『バカの壁』(養老孟司著)では「都市化して情報化する」ことに警鐘が鳴らされていた。この漫画も同じことが描かれていて、生々しい感覚や経験を大切にし、人間は万物の流れの中で変化し生かされていることを再認識しようという思想が見える。第49回小学館漫画賞を受賞しているが、当然の結果だっただろう。