『水鏡綺譚』

 私は近藤ようこの漫画が好きだ。彼女は人の心の微妙なゆれ動きを作品にまとめるのがとてもうまいと思う。現代物もなかなか味があるのだけれど、私は時代物の方が好きだ。中でも私が一番好きなのがこの『水鏡綺譚』だ。作者自身もこの作品が一番好きだそうで、楽しんで描いたとあとがきにある。


 けれどもあまり人気がなかったのか、完結しないまま途中で打ち切りとなってしまった。復刊ドットコムに復刊希望を出していたのだが、今回みごと復刊となった。しかも完結編が新たに描き起こされて収録されているという。これはもう、買うしか。


 この作品の舞台となる時代は、中世の室町時代あたりだろうか。江戸時代が舞台の時代物はよくあるが、そうではなく中世が舞台というところも、私にとっては魅力の一つだ。近藤ようこの絵柄はこの時代の描写にとてもよく似合う。なめらかな線で平面的に描かれた女性達はエロティックだ。また妖怪や神々なども登場し、和風ファンタジーとなっている。


 主人公の少年ワタルは、赤ん坊の頃捨てられていたのを狼に育てられ、その後修行中の行者からさまざまなことを習った。狼も行者も亡くなり、立派な人間になるために修行の旅をしている。ある時、通りすがりの村で、盗賊にさらわれた村の娘達を助けて欲しいと頼まれた。ワタルは術を使って盗賊から娘達を救出するが、その中に、正気ではないと思われるよそものの娘もまじっていた。彼女の名前は鏡子(かがみこ)。彼女は、自分の知恵であり魂でもある鏡を失くし、記憶も失っていた。ワタルは鏡子を家まで送り届けようと、一緒に旅を続ける。鏡子の失われた知恵と魂を取り戻す旅だ。


 道すがら、二人はさまざまな怪異に出会う。その怪異をワタルが術で解決したり供養したりすることで、二人は食べ物や宿を得る。怪異の影に人の心の闇が垣間見える。けれどもその心の闇を単純に悪として切り捨てるのではなく、その心の弱さや迷いを哀れととらえて描かれている。作者が人を見つめる視線は優しい。


 私が一番好きなエピソードは、紅皿を井戸に落とした女性の物語だ。小萩は長者の息子と恋仲だったが、彼女をこき使う継母は、長者の息子を自分の娘の婿にするため縁談を進めていた。信じていた恋人が実は小心者だったということに気が付いた小萩は、自分で働いて身を立てようと、紅皿を井戸に投げ捨て、家を飛び出す。このエピソードは、私の地元の遺跡の井戸から発掘された紅皿をきっかけにうまれたと、元の版のあとがきには確か書かれていた。そのため、とりわけ印象深かった。


 作者のあとがきによると、この作品は「得るものと失うものの物語」だそうだ。知恵を得ると大切なものを失う。これはどうしようもないことなのかもしれない。