『オブザーバーの鏡』

あらすじ

地球には、実は三万年も前から火星人が暮らしていた。心臓の鼓動は一分間に一回きりで、独特の匂いを放つ。だが彼らは匂いを消し姿を変えて、ひそかに人間たちの社会に入りこんでいる。いつか人類が精神的に成熟し、彼らと「合同」できる日がくるまで、監視をつづけているのだ。彼らは自らを〈オブザーバー〉と呼んだ。しかしこうして人類と共に歩もうとする理想主義に反し、彼らの中には地球人を目の敵にし、絶滅を望む者たちがいた。愛惜に満ちた、国際幻想文学賞受賞作。

扉より

 設定や文章はすでに古くさいながらも名作。原作が書かれたのは1954年、邦訳の初版発行は1967年である。時代を感じさせる訳文ではあるが、これがなかなか感動的だ。SFの中には科学的な要素が古くなるとたちまちつまらなくなってしまうものもある。しかしこの作品は人間という不変のテーマを扱っているため、時間が経過してSFとしてのアイデアが陳腐化してもじゅうぶん名作として通用していると思う。



 物語は、火星人の〈オブザーバー〉エルミスと、彼が観察している少年アンジェロ、その友達の少女シャロンとの心の交流を描いたもの。エルミスがオブザーバーの派遣団の団長に宛てた報告書として書かれている。しかし事務的な無味乾燥なものではなく、とても情緒豊かで活き活きとした文章だ。特に大人になったシャロンのピアノコンサートの様子はすばらしい。


 血液がオレンジ色で4本指をもち700年以上生きる火星人が、手術で姿を変え人間に紛れて暮らしているというのは、今ではさすがに無理がある。しかしこの作品にとってそういう設定は些末なことにすぎない。火星人という人間以外の者の目を通して、人間を見つめ、人間を描いた作品である。


 人間を見限り悪意を持って滅ぼそうとする火星人ナミールに、そうではないと説得するエルミスの演説が心を打つ。人間がつまづくのは努力して正義に近づこうとしているからこそだ。一生をかけて人間の中に悪を探したナミールの行為は、宝の山の中で偽札を捜し求るようなものだ。自分は善を捜し求め、溢れんばかりの山と積まれた善を見つけたと。



 全体を通して少し重苦しい雰囲気だが、ラストでは希望と愛情に満ちていて、瑞々しい。

 うるわしき地球よ、人間界の嵐が吹きすさぶ絶頂においても、わたしは一度とておまえを忘れたことはない、わたしの惑星「地球」よ、おまえの森、おまえの野原、おまえの海、おまえの山の静穏、牧場、流れ続ける河、めぐりもどる春を告げる不屈のきざし、それをどうしてわすれられようか。本文より