『天冥の標』シリーズ

シリーズ一覧

『天冥の標Ⅰ メニー・メニー・シープ』(上)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150309688

『天冥の標Ⅰ メニー・メニー・シープ』(下)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150309695

『天冥の標Ⅱ 救世群』
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150309886

『天冥の標Ⅲ アウレーリア一統』
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150310035

『天冥の標Ⅳ 機械じかけの子息たち』
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150310332

『天冥の標Ⅴ 羊と猿と百掬の銀河』
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150310509

『天冥の標Ⅵ 宿怨』(Part1)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150310677

『天冥の標Ⅵ 宿怨』(Part2)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150310806

『天冥の標Ⅵ 宿怨』(Part3)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150310943

『天冥の標Ⅶ 新世界ハーブC』
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150311391

『天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク』(Part1)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150311599

『天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク』(Part2)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150311698

『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと』(Part1)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150312138

『天冥の標Ⅸ ヒトであるヒトとないヒトと』(Part2)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150312312

『天冥の標Ⅹ 青葉よ、豊かなれ』(Part1)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150313555

『天冥の標Ⅹ 青葉よ、豊かなれ』(Part2)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150313593

『天冥の標Ⅹ 青葉よ、豊かなれ』(Part3)
早川書房 刊 / 小川一水
ISBN:9784150313623

均一化 vs 多様性

『天冥の標』でシリーズを通して貫かれているテーマは、均一化を強制する者たちとの闘いだ。

「徹底的な均一化」を戦略とする最大の敵ミスチフを筆頭に、残忍な軍警ザリーチェや、95%を死滅させる冥王斑という病気そのもの、人気者だった頃の千茅、「未知への愛」が無い海賊たち、弱者を容赦なく切り捨てるロイズ保険社団とその子会社のMHD社、偏った倫理観で殺戮する倫理兵器エチック・ウェポン、全人類を無理やり《救世群ラクティス》にしようとするミヒル、個を犠牲にして超新星爆発を引き起こそうとするオンネキッツなど、程度の差こそあれ、異質なものやマイノリティを認めず切り捨てる行為が繰り返される。

こうした敵に対し、主人公たちは多様性を大切にする。イサリやカドムは「気に入らない相手でも滅ぼしたりまでしたくない」「自分たちだけでなく、外に豊かな何かがあって欲しい」と願う。エランカは「人間の考える豊かな国と未来には、《恋人たちラバーズ》やカンミアも含むことができる」と人間以外の者たちにも同等の主権を与える。青葉は迫害される《救世群ラクティス》代表の千茅に「あんたたちが消えていい訳がない」と手紙に書く。

だが、それだからこそ、決着をつけるのが難しそうだとずっと思っていた。

均一化を強制する者が勝つなら話は簡単だ。単に相手を滅ぼしてしまえばそれで良い。矛盾もしない。しかし、多様性を大切にする者が勝つためには、自己否定になるため、相手を滅ぼして終わりにするわけにいかない。作者がこれにどう決着をつけるのか注目していた。

この難題は突き詰められ、「進化していない者 vs 進化を繰り返した者」という、生物的な次元に行き着いた。

均一化の代表ミスチフは、進化も繁殖もせず、ただ一個体のみで拡大してきた。カドムたちはこれに、進化で獲得した免疫を用い対抗する。まさに多様性の賜物だ。

しかし、こうなると均一化と多様性の問題は、善悪でもなければ好き嫌いでもなく、正義かどうかでもなくなった。こんな論点に落とし込んで難題を解決するとは、さすがである。

また、ミスチフへの対抗策をめぐり繰り広げられたオンネキッツたちとのメタ進化の議論もとても面白かった。

ラゴス

ラゴスのことはよくわからない。男娼ではあるが、最初は理想の男性像のように描かれていた。屈強な体格、ムスクの香り、完璧な技巧とタイミング、何より自分の意見を女性に押し付けない控え目な態度。エランカは彼との子供を作る代わりに、革命を率い大統領にまでなった。また、彼自身はアクリラに絶対の協力を約束し、革命を担う市民の一員として活躍していた。

だが、記憶を取り戻してからのラゴスはいかがなものか。冠絡根環カンカラコンカンへはMMS交渉団として《救世群ラクティス》を代弁するために行ったはずなのに《恋人たちラバーズ》の目的を優先したり、つれなくされて茜華根禍アカネカを口説こうとのめり込んだり、身勝手が目立つ。茜華根禍アカネカたちに人間の生殖行動を実演して見せるに至ってはもはやギャグだし、何よりここまでしたエランカの元へ戻らないのは、ヒトとしてどうなのか。もちろんヒトではないのだが、他も選べるという選択肢を得てなおエランカを選ぶ意思こそが、主体ではないだろうか。

彼以外の《恋人たちラバーズ》も、同じように主体獲得を試みていた。人間に逆らい反撃したベンクトやオーロラ、ヒトになりたいとミヒルに寄り添った一旋次、愛する人を得て共に闘ったゲルト、大きなダメージを受けてなおイサリを笑わせようとするスキットル。彼らと比べても、ラゴスの方向性はずれていないか。

従属する相手を自ら選ぶことで主体を獲得するという理屈はわからなくもない。しかし、これは、人類全体の中から《救世群ラクティス》を主人に選んですでに試し、失敗したのではないか。

ノルルスカインは、面倒を見すぎるとダメになると、人間に対して最低限の干渉しかしなかった。だが、《恋人たちラバーズ》は《救世群ラクティス》の要求に従いすぎ、歯止めが効かなくなり最後は放り出した。茜華根禍アカネカを主人としても同じことになるのではないか。

それに混爾マージを超えるものを探すといっても、巨大な樹木のような茜華根禍アカネカ相手に何をするのか。蜂みたいに受粉を手伝うのだろうか?《恋人たちラバーズ》を創り出したウルヴァーノもびっくりだ。

主体がないからこそ女性にとって理想の男性像だったラゴスは、主体を獲得し、ただの女たらしになる自由を得た。それもまた主体なのかもしれない。エランカの方でも未練は無いようだからそれでいいのかもしれない。

カルミア

カルミアンの呼び方は色々あってわかりづらい。「カンミア」が生物学的種族名、「カルミアン」は《救世群ラクティス》がつけた呼び名、「石工メイスン」はMMSの人々がつけた呼び名、「ミスン族」は情報生命体となった状態、「イスミスン族」はミスン族がいくつか集まって被展開体となった状態か。そもそも被展開体自体よくわからないので、合っているかどうかわからない。巻末の用語説明でこのあたりの違いを説明してほしかった。

愛すべきエイリアンの彼女らには、ぜひとも人類の傍らでちょこまかしていてもらいたい。

未来の地球

このシリーズでは、もしセレスの地下でMMSの人々が生き延びていなければ、太陽系の人類は滅亡していたかもしれない。

地球では、戦争が始まるずっと前に《救世群ラクティス》を全員宇宙へ追いやっていたため、血清がなかった。これが災いし、ウイルスが撒かれると生き延びることができず、ヴァンディたちが2530年に地球に降りたときには、誰もいなかった。

かろうじて生き延び繁栄したMMSにしても、当初は子供しかいない実に大変な状況だった。ジニ号の物資やロイズのロボット類の操作権限、ダダーのノルルスカイン、カルミアン、《恋人たちラバーズ》等、もしどれか一つ欠けても生き延びることができなかったかもしれない。

翻ってみると、現実ではどうだろうか。今から500年後、800年後、1000年後、人類は生き延びているのだろうか。

現在自然は急速に破壊され、多くの動植物が絶滅しつつある。災害の猛威も半端ない。待った無しの状況に思える。

それに、核兵器原子力発電所など、ひとたび事故が起これば人間の手にあまる技術も使い続けている。思いおこせば、第1巻『メニー・メニー・シープ』の電気が逼迫する物語は、福島の原発事故直後の計画停電のさなか、現実とのシンクロを感じながら読んでいた。もし地震やテロで原発が破壊されれば、深刻な被害が出るだろう。だが、日本で核エネルギー廃絶への政策転換は、まだたいして進んでいない。

また、カルミアンがいないからクラスト化はされないが、遺伝子工学の技術は急速に進んでいる。これも人間の手に負えなくならないか。安易に遺伝子をいじって不妊や予期せぬ弊害が出たり、レッド・リートのような危険な動植物を生み出さないとも限らない。

はたして500年後の未来がどうなっているのか想像もつかないが、人間と人間の外の世界がまだ存在し、できれば豊かであってほしいと切に願う。