『量子怪盗』

あらすじ

遠未来、小惑星群にある“監獄”には、ひとりの男の精神が幽閉されていた。男の名は、量子怪盗ジャン・ル・フランブール。かつて太陽系にその名を轟かせた彼も、今は永遠の囚われの身となっていた。そんな彼の監獄にひとりの美少女が現れる。高度な戦闘力を備えた少女ミエリは、脱獄させる見返りとして火星であるものを盗んで欲しい、と告げた。その頃、火星では千年紀長者ウンルー主催のパーティーの準備が進んでいた。怪盗から届いた予告状に対し、気鋭の青年探偵イジドールが呼び出された!超ハイテク世界の火星で展開されるポストヒューマン時代の怪盗対名探偵の対決。

裏表紙より

 『量子怪盗』は、三部作のうちの第一作目。新☆ハヤカワ・SF・シリーズの第6回の配本だ。このシリーズはこれまでのところハズレがなく、読み応えのあるラインナップとなっているので、毎回買うことにしている。本作もなかなか面白い三部作となりそうだ。


 『量子怪盗』には、モーリス・ルブラン作のアルセーヌ・ルパンシリーズへのオマージュがあちこちに散りばめられている。ガジェットがてんこ盛りで、女性陣がやたらと強くてカッコいい。聞き慣れない言葉が多いのはともかく、勢力関係や歴史がわかりにくいのと、怪盗の友人たちのエピソードの挿入が唐突すぎるのとが気になって、結局最初から全部読み直した。おかげで事情はだいぶわかってきた。


 高度に発達したこの世界では、量子レベルのテクノロジーでさまざまなことが実現できる。食べ物や衣服は合成器ファバーでつくられ、建物や家具なども一時物質テンプマターでプリントされる。ほかにも、有知能物質スマートマター情報素スパイム機能性霧ユーティリティー・フォグ量子的絡みあいエンタングルメントといったテクノロジーがあちこちに登場する。この世界では、精神は肉体から切り離されてデータ化され、不死が実現している。また、人工知能は意識を持っている。かつて〈崩壊〉と〈木星大爆発スパイク〉があり、木星は消滅してしまったようだが、どんなことが起きたのかはまだよくわからない。


 〈監獄〉の〈偽神アルコーン〉たちに囚われていた怪盗ジャン・ル・フランブールの精神は、少女ミエリに助けられ、ここから脱出。高機能な新しい身体を与えられたが、彼の記憶には大きな欠落があった。これは〈偽神〉に見つからないよう、彼が自ら火星の忘却の都市ウブリエットに隠したものだった。脱獄させた見返りに、協力を求めるミエリ。ミエリに拘束されたまま、ル・フランブールは記憶を取り戻すために火星へと向かう。


 火星の都市は、テラフォーミングしながら移動している。ウブリエットも同様だ。火星の砂漠には自己増殖する生物兵器恐怖フォボイが何世紀にもわたって再生を繰り返していて、都市に襲撃を仕掛けてくる。巨大な長城を築くことでこれを防ぎながら、都市は砂漠の中を巨大な橋脚で移動している。


 火星では、時間がお金の代わりにやり取りされている。ここでは、生身の身体を持つ者は有身貴族ノーブルとして人生を謳歌する。生身の身体で生きる時間はカウントされていて、残された時間がお金の代わりにやり取りされる。時間=お金が尽きると、身体は黄泉路アンダーワールドへ運ばれる。死者の精神はそこで、言葉も話せない作業用機械の身体に詰め込まれて静者クワイエットとなり、さまざまな労働に従事する。こうした静者は、火星のいたるところで作業している。彼らはこうして時間=お金を貯めて、再び生身の身体に転生するのだ。


 ここではプライバシーは結界グヴロットによって守られている。しかるべき許可がないと近くにいても姿が見えないし、会話をかわしてもそれを記憶しておくことすらできない。プライバシーをどこまで開示するといったことを、火星では人びとがそれぞれ管理している。ル・フランブールの盗みも、グヴロットを巧妙に操作して行われる。


 ウブリエットで探偵として注目されているイジドールは、自警団である義人ツアディークの要請で、市民が殺されてその精神が誘拐された事件を捜査していた。火星ではこうした死せる魂ゴーゴリ誘拐団が暗躍していて、義人たちはその背後に潜む潜導者クリプタークを追っていた。


 また、イジドールの評判を聞きつけて、千年紀長者ミレニエアのウンルーが興味深い仕事を依頼してきた。ウンルーは静者クワイエットとなる決意をかため、最後のパーティーを華々しく開こうと計画していた。怪盗ル・フランブールから、このパーティーに参上するという予告状が届いたという。探偵は怪盗を阻止することができるのか。


 戦闘シーンがやたらとかっこいい。無重力地帯出身のミエリは、背中に翅を持ち滑空する。彼女の身体は戦闘に特化して強化されている。qドット・ガンをぶっぱなし、体内の超小型核融合炉のパワーで高速化して、迫力ある戦闘シーンが繰り広げられる。イジドールの彼女のピクシルも、巨獣にまたがり、仮象空間レルムスペースの剣でなぎはらう。また、何よりも、都市が大きく変動し、ウブリエット全体を巻き込んで繰り広げられるラストは圧巻だ。


 火星は大きな転換期を迎えた。次作で怪盗たちは地球へと向かうらしい。ミエリたちは怪盗に何をしてもらいたいのか。ミエリの回想に登場したシダンという人物に関連がありそうだ。あちこちで登場してくる精神共同体ソボールノスチが何者なのか、もう少しわかってくるといいのだが。また、〈木星大爆発スパイク〉についても詳しいことがわかってくるのだろうか。二作目が9月に本国で出版されたばかりのようなので、完結するのはだいぶ先になりそうではあるが、期待したい三部作だ。