『預言』

あらすじ

若く美しく心を病んだ一人の女性、レイヴン・スレイド。
無力な入院患者であった彼女の運命は、偶然に彼女の記憶に封じ込められたテロリストの預言めいた暗号により激動の渦へと投げ込まれる。

暴走する精神を苛む妄想と恐怖症。
テロリストたちの恐怖に満ちた暴力と洗脳。
正義の名の下にふるわれる非情な公権力。
愛してはいけない者との禁断の愛。
心の奥深くに埋もれた悪夢のごときトラウマ。
自らを追い詰め、束縛するすべてのものから逃れ
――レイヴンは自由の空へ、飛び立つことができるのか。

病める個人と時代を見つめ続けてきた作家、ダニエル・キイスが、一人の女性の魂の苦境に9・11以後の狂い、壊れていく世界を映し出す、唯一無二の物語。

カバー折り返しより

 不朽の名作『アルジャーノンに花束を』を書いたダニエル・キイスの最新作。


 『アルジャーノンに花束を』の主人公は知的障害者で、物語の内容はその障害と向き合うものだった。作者はこの後もさまざまな障害を扱った作品を発表している。『24人のビリー・ミリガン』や『五番目のサリー』では多重人格障害(現在では解離性同一性障害)を扱っていた。一人の人物の中に、性格だけでなく訛りや特技まで全く異なる人格がいくつも存在し、記憶も連続していないという現象に、こんなこともあるものかと驚いたものだ。続く『眠り姫』は睡眠障害を扱った作品のようだが、こちらは読んでいない。最新作となる本作では、境界性人格障害にについて扱っている。


 境界性人格障害については何年か前に知った。あるSF書評でこの症例のことが紹介されていたのだ。当時の知人にこれに当てはまる点がたくさんあり、「ああ、これかもしれない」と腑に落ちた。彼女は「かわいそうな私」を演出するために絶えず嘘をついていたふしがあった。自分がトラブル*1に巻き込まれていることを折りにふれ主張していたが、実際には彼女自身がトラブルメーカーだった。もちろん本当にその障害だったのかどうかはわからない。けれども間接的にいろいろと大変だったので、二度と関わりたくないというのが本音である。


 また、別の友人にも実はこの気があったのではないかと思い当たった。何年も前のことだったが、彼女はリストカットをし、血が止まらないと電話をしてきた。正月早々未明の3時頃だった。救急車に乗って一緒に病院に行ったものだ。他にもいくつか思い当たる点はあるが、とはいえ彼女の方はたいした問題はなかった。


 本作の主人公レイヴンは、この境界性人格障害に加えて解離も伴っている。彼女の内部には妹ニッキという別人格が存在する。レイヴンは火を怖れ、ニッキは高いところを怖れている。また彼女の行動は演技めいていて、自分自身の行動を、まるでスポットライトの当たる舞台で演技しているかのように捉えている。こんな複雑な人物がテロに巻き込まれて翻弄される。作者によると、これまでの作品では主人公の“内心の葛藤”を描いていたが、本作では“変わりゆく外界と葛藤する内心の葛藤”に重心を移したのだそうだ。


 この作品では、実在の組織17NとMEKが手を結び、アメリカでの無差別大量殺戮を試みる。作戦名は〈ドラゴンの歯作戦〉。計画を練り上げた17Nの幹部はこの作戦内容を暗号化し、預言というかたちで書き上げた。この預言を偶然見てしまったのが、この幹部から演技の指導を受けていたレイヴンだった。


 17Nのメンバーはレイヴンを誘拐し、預言に書かれた計画を彼女から聞き出そうと、洗脳を試みる。けれども彼女は催眠術をかけられていて、思い出すことができない。一方で、MEKやFBIも暗躍する。こうした複雑な状況をかいくぐり、レイヴンは際どい状況をくぐり抜けてゆく。彼女の極端さや大胆さ、見捨てられまいとするエネルギーは強烈だ。おそらく本人にとってみても、エネルギーのかけ方が半端ではなく、生きづらいことなのだろう。


 スパイものとして読むには、この作品はちょっと辛いかもしれない。事態がどんどん変化するのが唐突すぎる気がするし、テロリストたちの行動も行き当たりばったりに思える。何十年も捜査の目をかいくぐって来たテロ組織のやり方には思えない。また、FBIの絡み方もよくわからない。暗号の解読には一役買っているものの、それ以外ではたいして活躍していない。むしろ後半は行きずりの精神科医の方が前面に出る有様で、スパイものとしては物足りない。


 おそらくレイヴンを活躍させるために、暗号の解読にこだわりすぎたのだろう。テロリストの行動にもFBIなどの捜査方法にも少し不自然なところが目立つ。テロの標的を割り出すにしても、普通はもっと違うやり方(電話の履歴を追うとか接触した相手を探るとか)をするのではないかと思える。


 作者がスパイものにトライしたかった気持もわからなくはないが、こういう症例は特異な状況化での対応を見るよりも、日常の中での過剰な人間関係にスポットを当てる方が理解しやすかったように思う。とはいえ、こういう症例を真正面から扱った作品はおそらくあまり類がないだろうから、こうして広く読まれることで認識が広まり、適切な治療につながればと思う。

*1:病気、いじめ、ストーカー被害、傷つくことを言われた、etc