『不確定世界の探偵物語』

 西洋人と日本人では、自然観が異なっている。日本人にくらべると西洋人は、自然を人間の支配下に置き、管理する対象として捉えているよう見受けられる。日本人の自然観は、もっと鷹揚だ。自然のままの美が受け入れられ、災害にしても、過ぎ去るのをひたすら待っている。


 恐いものを列挙した「地震、雷、火事、親父」という言葉には、逆らってもしょうがないから身を潜めておさまるのを待とうというニュアンスが感じられる。ちなみに、もともとは「親父」ではなく「やまじ」だったそうで、「やまじ風」という愛媛県に吹く局地風のことを差していたのだそうだ。


 本書はタイムマシンを扱ったSFだが、西洋のそれとはひと味違って、まるで日本人のそんな自然観に合わせたかのようなSFに仕上がっている。西洋で書かれるSFでは、タイムマシンによってパラドックスが起こらないよう、時間への干渉は管理・コントロールされることがよくある。中にはタイムパトロールが監視し取り締まっているものもある。


 それに比べると本書では、タイムマシンによる変化は、人間の手のおよばない自然災害ででもあるかのように描かれている。そもそもタイムマシンそのものは全く出てこない。世界に1台しかないタイムマシン(ワンダーマシン)は富豪ブライスによって操作され、変化が引き起こされる。描かれるのはもっぱらその変化の方で、人々に与える影響は甚大だ。目の前で喋っていた人が、いきなり違う人間に変わったり、自分自身がいきなり異なる次元へ現れてしまったり、今まで生きていたはずの人が死んでいたり、結婚相手が変わってしまったりと、容赦がない。日本でさえも、この影響により無くなってしまっている。人々は人生を翻弄され、それが元に戻る見込みもいっさい無く、ただひたすら新しいその現実を受け入れるしかない。当事者からするとたまったものではない。


 では、このタイムマシンの持ち主が自分に都合のいいように時間を操作しているのかというと、そうでもない。時間への干渉は人間に都合よくコントロールできるものではなく、意図した通りに結果が出るわけでもない。何でもコントロールできて当たり前の西欧の自然観とはずいぶん異なっている。 また私利私欲のためにやっているのでもなく、より良い未来にするために、重い責任を背負ってやっていることだったりする。


 体裁は一人称のハードボイルド調。もともとは雑誌に短篇として連載されていたシリーズものなので、読み切りの短篇が順を追って収録されている。ただ、ハードボイルド調なのに主人公が肉感的な女性に対してあからさまに鼻の下を伸ばしているのが違和感があった。私のイメージするハードボイルドでは、どちらかというとストイックなイメージがあるのだけれど。一人称でなければまだ違和感がないのかもしれないが。


 主人公が探偵なので、推理ものとしても楽しめる。けれども全ての謎が解明されるわけでもないので、推理ものとして読むと少しスッキリしないところが残るかもしれない。謎ときの部分も本書では、自然に対する感覚と同様に扱われているように思える。自然は人智を超えたところに存在していて、人間はそれをそのまま、わからないならわからないまま、受け入れるしかない。そんな日本人の感性が現れているように思える。