自他未分化

以前考え抜いたあげくにようやく理解できたことを、簡潔にまとめてあったので引用。
http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20061101

自己主体を認識しないということは、鏡としての他者主体は認識出来ないということであるから、様々な意識に基づいた言動は全てモノローグと化す。それでは他者性社会性は到底担えず自律できないので、類似モノローグの依らば大樹の影に居場所を見つけるしかない。しかしそれは類似という隣り合う関係の被妙な差異を巡る軋轢がもっともストレスと化すという閉じた円環ループをしばしば繰り返す。


以前、自己主体を認識したくない人と良好な関係性を保とうとして四苦八苦したことがある。自分と同じたれという無意識の圧力がもっともキツかった。私はあなたではないという、私には自明の理を説明するために数式まで書いて説明したが、私には理解のできない思考回路と同一であることを要求(または同一であるという前提で解釈)されることが、いつまでたっても止まらなかった。自己の主体を認識せずに上手に隠ぺいして生きていくことは、自分の認識の中でだけは無垢でいられるのかもしれないが、周りにさまざまなものを押し付けているということを認識してほしい。


まずは主体は確立されなきゃならないと、私は思う。確立した後にそれを手放すために。確立もしてないものは手放せないからね。今後の私のテーマはこの手放すこと。なかなか難しいけれども。