『養老孟司の〈逆さメガネ〉』

内容

第1章 現代人の大きな錯覚――〈逆さメガネ〉の教育論
第2章 都市化社会と村社会――脳化社会の問題
第3章 身体感覚を忘れた日本人――都市化と身体
第4章 大人の都合と子供の教育――問題は親にあり
第5章 変わる自分、変わらない自分――心と身体の問題
第6章 人間が幸福にならない脳化社会――意識的世界の限界
第7章 ふつうの人が幸福に暮らせる社会――共同体を生きる

 教育という題材をとおしてものごとの見方や考え方を述べたもの。世の中の常識が逆さまになっているときには、普通の人と違う「逆さメガネ」をかけて考えることも必要だ。養老流の逆さメガネを通してみると、社会は「脳化」に向かっている。すべてを意識化し、無意識や自然を見ようとしない「脳化」。彼の著書はこの「脳化」に警鐘を鳴らしているものが多く、この本も同様だ。


 なるほどと思ったのは、学生紛争のときに著者が体験した常識の変化。日本の村落共同体と民主主義が一緒になった理屈に、著者は常識の変化を感じたという。確かに、日本では西洋の思想が日本の思想と結びつき、都合のいいとこ取りのような変な風潮となって根付いてしまっているように思えることが多々ある。キリスト教と仏教も、何だか変な感じで結びついているように私には思える。特に「愛」とか「自己犠牲」とか。


 感心したのは、デキの悪い社員も共同体には必要で、社会全体のコストとしてみれば、追い出さないことで結果的にコストを下げているという見方だ。デキが悪い人は次でも使い物にならず、だったら同じことをさせていた方が効率が良いのだそうだ。これは確かにそのとおりだ。こういう現状は身近で始終見ているだけに、そういうメリットもあったのかと新鮮だった。