『シャドウ・パペッツ』
- 著者:オースン・スコット・カード
- 翻訳:田中一江
- 出版:早川書房
- ISBN:9784150114916
- お気に入り度:★★★★☆
『エンダーのゲーム』でエンダーの腹心の部下として活躍したビーン。同じ戦争をビーンの視点で描いた作品から、このシャドウシリーズは始まった。そして、エンダーが宇宙に旅立った後の激動する地球の社会情勢と、ビーンを始めとするバトルスクールのメンバーがそれにどう関わっていったかが描かれている。今回の巻では社会情勢の比重の方が大きく、人によってはそちらもとても面白いだろうと思う。しかしそれよりも、ところどころにビーンの目を通して織り込まれている、人が生きる意義とは何かというテーマが、私には興味深い。
人体実験のモルモットとして生まれて来たビーンの幼少時代は過酷で、生き抜くために知恵を絞り戦うしかなかった。バガーとの戦争が終結して地球に戻っても同様で、宿敵アシルに命を狙われ続ける。けれども前作では、ビーンはシスターカーロッタの考え方に影響され、自分を殺そうとする敵であっても、自分からは殺さないという道を選んだ。また、自分のためではなく、自分を信頼してくれる人のために戦おうとした。今回ではビーンはさらに考えを深め、人類の複雑な網の一部として生きることを選択する。ある意味人間とは言えないビーンだが、ほつれた糸として生きるのではなく、網に組み込まれて生きる決意を固める。
なにがなんでも命をつなごうとする生存欲は、人類にかぎらずすべての生物のなかに存在するにちがいないからだ。個体が生き残ることが目的ではない――自分が生き残ろうとするのは利己的な行為であり、そうした自分勝手さは無益で、まったく未来につながらない。肝心なのは種全体の生存を望む意志だ。その個体が全体の一部として、しっかり絆をむすび、網の目を構成する糸の一本となって永遠に残るようにP144より
当初ビーンは自分の現在を否定し、愛する人を未来において辛い目にあわせないために、前もって幸せそのものをも回避しようとしていた。また、その言い訳として、自分には世界を救う使命があると、自分自身をも欺いていた。そんなビーンを説得するシーンが、とりわけ心に残る。
「ぼくは、だれのことも愛していない」ビーンはいった。
「あなたは、人を愛してつらい目にあいつづけているんだわ」ぺトラはいった。「その人たちが死ぬまで、愛していたってみとめることができないだけよ」P149より
そしてこの、網の目の一部に組み込まれて生きるということが、ラストへとつながっている。それは子孫を作るということに留まらず、人と関わりを持ち、その絆の中で生きるということだろう。前巻にもそんなエピソードがあった。何代も続くアイスクリーム屋に、ビーンが考えさせられるエピソードだ。おそらくこれも、網の一部として生きるということの一例だったのだろう。
自分の存在証明のために生きるのではなく、自分の信念のために生きるのでもない。ましてや自分の親しい人を犠牲にして見知らぬ他者のために生きるのでもない。これらは結局自分のために生きているのと変わらない。そうではなく、自分の愛する人、家族や友人、仲間の幸せのために、必要なことをなんでもする。カードはそれが「ヒーロー」だと定義している。もちろんそれは、仲間以外の人は踏み付けてもいいという意味ではないことは、通して読んでいくと読み取れる。複雑な網の一部となるには調和が大切で、引っ張りすぎても緩すぎてもだめなのではないか。
シャドウシリーズは、この後『Shadow of tha Giant』がアメリカで刊行予定だそうだ。ビーンやぺトラの今後も気になるし、彼らの大切なものがどうなったのかも気になる。また、スリヤウォング、バーロミ、アーライ、ハン・ツーなど、バトルスクールの卒業生達の今後の活躍や、ピーターがどうなるのか、中国はどううって出るのか、地球はひとつにまとまり平和は訪れるのか、次回作でこのシリーズも完結しそうで、楽しみだ。