『あなたの魂に安らぎあれ』

あらすじ

火星の地下にひろがる破沙空洞市では、人間たちが絶望的なまでに倦み果てていた。いっぽう放射線が降りそそぐ地上の門倉京では、人間に奉仕すべく造られたアンドロイドたちが、華やかな文明を築きあげていた。だが、その繁栄の陰で終末の予言が囁かれていた――「神エンズビルが天より下りて、すべてを破壊し、すべてが生まれる」と。『帝王の殻』『はだえの下』へと続く3部作劈頭を飾る長編デビュー作

 日本人作家の書く作品は、ウェットな質感のあるものが多いように思う。それが瑞々しく感じられる場合は良いのだけれど、湿っぽいべたべたした感じだと、私は少し苦手だ。だから私はどちらかというとウェット感の少ない海外SFを好んで読んでいるのだと思う。


 神林長平の作品の質感は、ウェットではないので好きだ。硬質で乾いた印象があり、繊細で軽やかな精密機械のような質感をしている。この作品は神林長平氏の長編デビュー作だが、すでに彼らしい硬質な質感が備わっている。


 物語の舞台は破沙空洞市と門倉京。人間は火星の地下の破沙空洞市に住んでいる。そこでの生活は、表面的にはあまり現代と変わらない。けれどもそれは幻感覚器による演出で、物の外観から衣服や食べ物にいたるまで、幻出されたものだ。味覚や匂いも同様だ。仕事も何かを付け加える余地はなく、人々はその空虚な現実からできるだけ目をそらして、日々暮らしている。


 一方その地上にある門倉京はアンドロイドの街だ。地上は放射線などが強くて人間は住めないと言われている。ここに登場するアンドロイドは自分たちの意思や感情を持っている。人間と見分けはつかないようだ。子供から大人へと、成長もする。一部のアンドロイド達は「エンズビル」という神を信じている。いずれ「エンズビル」が降臨し、そのときアンドロイド達が何のために造られたのかが告げられるだろうと、言い伝えられている。人間にはアンドロイドによって地下に押し込められているという閉塞感があり、両者の確執は次第に大きくなっていく。やがて「エンズビル」がやってくる。


 空虚で現実感が薄く、何のために生きているのかわからないという感覚は、今読んでみるとこれが書かれた1980年代の日本の社会の気分を写し取っているようにも思える。けれども彼の作品の良さは、空虚さに目をそらす人物だけでなく、その裏にある本質を見据えている人物がきちんと描かれているところであるように思う。彼らは生まれながらにして見る/識る能力を持っていたのではあるが、目をそらさない生き方に好感が持てる。タイトルも下手をすると陳腐になりかねないタイトルだが、本質を見極めようとする姿勢や、本文で繰り返される手法がうまくて効果的だ。