美術と工芸とデザインと

 何か表現したいことがある時、それをどう表現するかは人により異なります。例えば「命の貴さを表現したい」という場合、それを絵画で表現する人もいるでしょうし、音楽で表現する人もいるでしょうし、小説で表現する人もいるでしょう。人によってはそれを自分自身の生き様としてとらえ医療活動やボランティア活動を実践することにより表現するかもしれません。同じテーマを表現するにしても、人によって表現する手法は異なります。そこにその人独自の個性が現れるのであり、それぞれのやり方でテーマを追求すればよいわけです。


 私はこう思っているのですが、この話をしたところ、こんな考え方は受け入れられないという人がいました。なぜならば、その職業を選んだ人はその職業の技術を向上することにより自己表現をしたいのであって、他の職業を引き合いに出すのはその職業を選んだ人を否定することになると感じられるから、だそうです。正直言って、この考え方は私にとっては意外でした。


 ところで、ずいぶん昔に購入した本をぱらぱらめくっていたところ、こんな文章をみつけました。

『美術は、人間の心が中心になり手と頭がこの活動に参加し、工芸は、手が中心になって頭と心が参加し、デザインは、頭が中心になって心と手が参加しているもの。』リチャード・ギャット(デザイナー)森本武著『デザインを始めた人のための考える方法』P91より

 これは美術と工芸とデザインの違いを説明したものですが、おそらく先ほどの例をあてはめると、「技術を向上することで自己表現したい」という考え方は、工芸の考え方と同じなのでしょう。技術(手法)=手が中心になって、そこに頭と心が参加しているわけですから。対する私の考え方は、デザインの考え方のようです。表現したいこと(テーマ)=頭が中心になって、それに心と手が参加する形ですから。これは私がデザイナーなので自然とそういう考え方になってしまうのかもしれません。ちなみに美術の考え方であれば、衝動や快不快や感情が中心になり、それに手と頭が参加する形となるのかもしれません。



 念のために補足しておきますが、私は別にデザインが工芸より優れているとか、その逆だとか、どっちが正しいとか言いたいわけではなく、同じことひとつをとっても、何を中心として考えるかでものの見方が人により違ってくるのが面白いと思っているだけです。また、この工芸的な考え方を聞いたことで、ひとつ納得できたことがあって、興味をひかれました。それは、日本人には個性的な美術や芸術といったものよりも、型とか様式にのっとった美術や芸術の方が華開きやすく、また工芸的なものに優れているのはなぜかというと、この工芸的な考え方が根本にあるからなのではないかということです。


 「オタクから遠く離れてリターンズ」http://www.t3.rim.or.jp/~goito/otato-R1.html東浩紀氏は、オタク文化と民芸の類似性について指摘されています。この指摘は私にはとても面白くてなるほどなぁと感心したのですが、昭和初期の民芸といい、現在のオタク文化といい、やはり日本には工芸的な文化、職人的な文化が育ちやすいという土壌があるのではないかという気がします*1。それがこの、「技術を向上することにより自己表現をしたい」という欲求から来ているのではないかと感じたのです。


 ちなみに民芸と工芸をgoo辞書で調べてみたのが下記です。

みんげい 0 【民芸】
一般の人々が日常生活に使う実用的な工芸品。衣服・食器・家具などの類。民衆的工芸。柳宗悦(むねよし)による造語。
こうげい 0 【工芸】
(1)実用品としての機能性に、美的装飾性を加えて物品を作りだすこと。また、そうして作られた作品の総称。一般に、小規模なものをいい、建築は含めない。「―美術」goo辞書より

*1:逆を言うとオリジナリティなものを尊重しないという土壌にもなっていますが