『ダイヤモンド・エイジ』

あらすじ

日常に普及したナノテクノロジーが、文明社会を根底から変容させた21世紀中葉。世界は、多種多様な人種・宗教・主義・嗜好の集まりからなる〈国家都市クレイヴ〉に細分化されていた。

 文化の坩堝・上海でヴィクトリア時代復興を願うフィンクル=マグロウ卿は、孫娘の教育のため、〈若き淑女のための絵入り初等読本プライマー〉の開発をナノテクノロジストのハックワースに依頼した。ナノテクの粋を集めた〈プライマー〉は、読み手を主人公とし、その境遇を“物語”に取り込みながら教育していく、究極のインタラクティヴ・ソフトだった。

 しかし、ハックワースが自分の娘のために不正コピーした〈プライマー〉は、ある事件をきっかけに、貧困と虐待の境遇にある少女ネルの手にわたってしまう。〈プライマー〉をめぐる複雑な陰謀が渦巻くなか、そのささやかな物語によって育てられたネルは、己の人生という大いなる物語を切り拓き、その物語の力は、やがて激動の世界そのものを変えてゆく。

 『ニューロマンサー』の“近未来”に『ハイペリオン』の“叙事詩”をリミックスし、デジタル仕様の世界観を華麗かつ過激に超越する、SF新紀元のパラダイムシフト。

カバー折り返しより

 ナノテクノロジーが浸透した未来を描いたSF。作者スティーブンスンはSFデヴュー作の『スノウ・クラッシュ』(感想はこちら)でもポストサイバーパンクの旗手とうたわれていたが、今回の『ダイヤモンド・エイジ』ではさらにポストサイバーパンクぶりを発揮していて、新しさを感じさせるなかなかよくできた未来像を作り上げている。『スノウ・クラッシュ』ではポップなアメリカのスピード感のあるイメージだったが、『ダイヤモンド・エイジ』では一転して、ヴィクトリア様式の厳格さと緻密で高度なテクノロジーが融合したイメージとなっていて、作品の幅広さを感じさせる。


 このヴィクトリア様式とナノテクノロジーの融合した世界観はなかなか魅力的で、古風な生活様式を最先端のテクノロジーで復興させている。ネオ・ヴィクトリアという、株主達やプログラマーなど上流階級が属する部族クレイヴの目指す生活様式だ。シルクハットに懐中時計型携帯端末、シェヴァラインと呼ばれる機械の馬、ナノテクノロジーで顔の回りに膜を張るヴェールといった具合で、礼儀作法なども厳格である。


 ナノテクノロジーもなかなか面白い。物は分子レベルでプログラミングされ、物質組成機マター・コンパイラで実際の物に組み立てられる。原料となる分子は物質源ソースと呼ばれ、巨大な貯蔵タンクに集められていて、フィードと呼ばれる分子ベルトコンベアで各家庭に送られる。紙の代わりにスマートペーパーが使われ、ラクティヴと呼ばれる自分の好きな役柄を演じられるインタラクティヴ・メディアが娯楽や教育の中心となっている。



 ナノテクノロジストのハックワースは、ネオ・ヴィクトリアの大物のフィンクル・マグロウ卿の依頼で、本の形をしたラクティブをコンパイルする。マグロウ卿の孫のためのその本は、幼い少女を認識し、その少女の成長を助け教育するものだった。少女の生活をお話の中に取り入れ、その少女を主人公とした物語を読み聞かせる。わからない言葉や文字を物語のなかで教え、勉強しなければいけないものも学べるようになっている。一見魔法の本のようである。


 主人公の少女ネルは貧しい家庭に生まれ虐待されていたが、偶然この本のうちの一冊を手に入れ、これに育てられた。本はプリンセス・ネルの冒険物語を語る。囚われた兄を助けるため、プリンセス・ネルは13本の鍵を求めて様々な相手と戦い、知恵を絞って1つずつ手に入れていく。この物語を通して現実のネルもさまざまなことを学び、やがて若い女性に成長した。そして現実世界で闘争の熾烈なナノテク戦争を切り抜けていく。


 プリンセス・ネルの童話と反して、現実世界でのナノテクを使った部族間の闘争はハードだ。舞台は上海。さまざまな部族が勢力を競い合っている。ナノテク戦争の主流は、人工ダニマイトで、さまざまな働きをプログラミングされて空中にばらまかれ、目に見えない熾烈な闘争が繰り広げられている。特定部族にのみ反応して攻撃するものや、人間の体内に入って無数に穴をあける〈クッキーカッター〉。果ては巨大なシステムをウェットウェアで作り上げようとする部族のたくらみに、ネルとハックワースは巻き込まれていく。



 面白いのは物語の中の城の一つにチューリング城という機械の城があったことだ。『ダイヤモンド・エイジ』のあとにスティーブンスンは暗号をテーマにした『クリプトノミコン』(感想はこちらこちら)を書いているのだが、それと似た内容がここで出てくる。牢屋に閉じ込められたプリンセス・ネルは暗号を読み解いて自由の身になるのだが、かたや童話でかたや戦争ものと、同じテーマを使いながらもこれもまったく違った味付けになっている。おそらくこの作品を書きながら、暗号をテーマの作品を書きたくなって『クリプトノミコン』が生まれたのだろう。


 ストーリーの最後の方はかなり駆け足で、ネルの行動や会話も最小限の説明になっている。もう少しディテールがあっても良かったのではないかと思うが、そうするとさらに長い話となってしまったのだろう。