『クリプトノミコン 1〜4』

 1巻のカバーには冒険SFと書かれていたが、最後まで読んでみてもSFではない。暗号をテーマとした4巻にのぼる長編フィクションである。


 物語の構成は第二次世界大戦中のパートと現代のパートが並行して進むあまり見かけない構成となっている。両パートとも暗号をテーマに展開されているのだが、次第に両者が一つの出来事で結ばれていく。暗号に護られた大きな謎が次第に明らかになってゆく。また登場人物の関係も時を超えて次第に結びついてゆく。


 様々な暗号がここでは紹介されている。


 数字をアルファベットに割り振った暗号(インディゴ暗号)、ローター機械を使った暗号(エニグマ暗号・シャーク暗号)、乱数を使い捨てにする暗号(ワンタイムパッド暗号)。中でも難攻不落で終戦後にようやく解読されたアレトゥサ暗号が、現代まで続く重要な役割を果たしている(もっともこれは架空のもののようだが)。


 現代パートでは、公開鍵と秘密鍵をペアで使用する暗号が使われていて、それを生成するオルドという架空のソフトウェアが登場している。ハードディスクの内容を消去するハッカー行為や、CRTモニターの電磁波を傍受することでモニターに表示された画面を別のモニターに映し出すバン・エック傍受というスパイ方法なども登場してくる。またやりとりしていることを悟られないようにとトランプを使った暗号なども出てくる。


 コンピュータと暗号は、この作品を読んでみると実は意外と密接に関わりがある。そもそも暗号自体が数学に深く関わっている。文字を数字に置き換え、それに乱数を足したり引いたりし、さらに再度文字に置き換えたりするのだ。また、暗号のキーワードとなる乱数の発生装置として関数が使われたりもするようだ。暗号解読にも文字の出現頻度を分析して推測するなどの統計や計算が欠かせないようである。


 大戦中のパートの主役となるローレンスは数学を得意とすることから暗号の仕事に深く関わっていったが、戦争が終わりに近付いた頃にはついにコンピュータを発明してしまうのである。ちなみにコンピュータ理論の元を作ったチューリングは、ローレンスの友人という設定となっている。


 一方現代のパートはコンピュータ関連のベンチャー企業の活動が中心となっている。彼らはデータヘブン(避難地)を作ろうとしていたが、市場ニーズによりネットバンクの設立へと変化していく。海底ケーブルの敷設のために海底を探査していたが、金塊を載せたUボートを発見したことで会社の乗っ取りを仕掛けられ、訴訟に巻き込まれる。


 理不尽な会社乗っ取りや埋蔵された金塊を狙うグループから身を護るために、さまざまな方法で敵の裏をかくやり方が披露される。バン・エック傍受でハッキングされながらの暗号解読作業はなかなか読みごたえがあった。コンピュータやプログラミングに詳しい人は興味を持って読めると思う。もちろん冒険小説としても波乱に飛んでいて面白い。


 テーマはあくまでも暗号なのだが、作者の最も大きな主張がホロコースト(大量虐殺)の阻止にあり、現代の主人公たちの設立する会社の真の目的もそれを目指している。古代から現代まで破壊、戦い、暴力を好む人物はいるもので、それに知識とテクノロジーで対抗しなければならないというのが作者の主張である。ギリシャ神話のアレスとアテナにそれぞれあてはめてそれを解説しているのだが、神話の神々やストーリーは人間の様々な性格のステレオタイプだとして解釈してあり面白かった。


 文章表現が軽妙で、はったりが効いてユーモラスな上少しオタクが入っているので真面目な印象は受けないのだが、よく調べて書き込まれている上に真面目なことをとても真面目に言っていて、しっかり思想を持って書き込まれた作品である。