『エンダーズ・シャドウ』(上・下)

あらすじ

エンダーの補佐官としてエンダーを補佐したビーンが見た『エンダーのゲーム』の真実とは…?恐ろしい昆虫の姿をした異星生物バガーの二度にわたる侵攻をかろうじて撃退した国際艦隊は、きたるべき第三次戦争にそなえ、バトル・スクールを設立した。そこでは未来の指揮官となるべき少年少女が訓練にあけくれていた。スクール史上、最高の成績をおさめたエンダーとビーンの活躍を描きだす『エンダーのゲーム』姉妹編。

カバーより

あらすじ

ロッテルダムの町で、孤児として生まれ、はいはいしかできないうちからストリート・キッドとして逞しく生きてきた少年ビーン。だが、生きていくためには、その持ち前の優秀な知能を使い、権謀術数をめぐらさざるをえなかった。やがて国際艦隊児童訓練プログラムの徴兵係にスカウトされたビーンは、バトル・スクールで自分よりも優秀なエンダーと出会う…エンダーの部下ビーンの視点で描くエンダーのもうひとつの戦い!

カバーより

 『エンダーのゲーム』の姉妹編で、同じ戦いを別の人物の視点から描き直したもの。エンダーのチームにいたビーン(豆)という小柄な少年が主人公となっている。


 ビーンアムステルダムのストリート・キッド。路上生活の子供達は弱肉強食の世界で生きていて、年少の弱い子供達は年長のいじめっ子達から食べ物を巻き上げられ、ボランティアの給食センターからも追い払われるといった過酷な状況だった。


 若干4歳のビーンは飢える寸前で、弱小の年少グループを率いるポークに、特定のいじめっ子を選んで食べ物とひきかえに護ってもらうよう進言し、仲間に入れてもらう。計画はうまく行き、給食センターを取り巻く状況も次第に変わり始め、子供達は飢えからは逃れられた。しかし大人には見せない子供達どうしの抗争は陰惨で、ビーンとポークは命を狙われる。


 子供達の間で起きた文化的秩序に目をつけたバトル・スクールの徴兵係は、テストでビーンに目をとめる。ビーンは非常に優秀な少年で、生立ちもかなり特殊だった。命を狙われていることを承知しているビーンは、ストリート・キッズの生活から抜け出すためにバトル・スクールに入る。


 バトル・スクールに入ったビーンはエンダーと並び評される。エンダーの時と同じやり口で生徒を支配しようと教官達は試みるが、路上生活で鍛えられたビーンをごまかすことはできない。ビーンは年齢も低く栄養状態も悪かったため小柄だったが、知能ではずば抜けていて、教官や同級生達から目の敵にされる。エンダーの少し年下に当たるビーンは、エンダーの伝説をあちこちで耳にし、やがて彼の右腕になれるのは自分しかいないと画策する。


 エンダーも精神的に苦悩していたが、ビーンはさらに過酷な状況で、死と隣り合わせに生きている。人の力関係を見極め、何が起きているか常に探り、バトル・スクールの本当の目的を推測する。エンダーは(意識的にせよ無意識にせよ)真実に気付かないまま偉業を成し遂げたが、ビーンはちゃんとわかって全てをとり行っている。タイトル通りビーンは影の世界に生きていて、常に注目を浴びカリスマを持っているエンダーとはずいぶん違っている。


 また生き延びることしか頭になかったビーンは、自分に寄せられた思いやりさえもドライに捕らえ、人を愛することを知らない。その辺姉の愛に包まれて育ったエンダーとは大きく違っている。しかし全てを計算づくでやっていながらも、情にもろく愚かで優しすぎたポークだけは別格で、いつまでも思慕を忘れることができない。


 途中からは『エンダーのゲーム』と同じエピソードをビーン側から解釈したものになるが、そちらでは語られなかった裏の事情なども設定されていて、読ませる。比較しながら読んでいっても面白い。どちらも文句なく面白いが、私はこちらの方が好きだ。ただ、やはり『エンダーのゲーム』を読んだ後でこちらを読むべきだと思う。


 それにしても「ストリート・キッド」という呼び方は「浮浪児」等と比べてなんと曖昧な言い方か。差別用語として使ってはまずいのか。冒頭に出て来る彼らの悲惨な生活は、「ストリート・キッド」というイメージよりずっと過酷なのだが。