『ヒーザーン』

あらすじ

死と暴力が蔓延した世紀末アメリカ。すでに国家は力を失い、超大企業ドライコがこの国の実権を掌握している。ドライコの社員ジョアナは、ニューヨークに出現した超能力者レスターを“商品”として売り出す企画担当になった。だがレスターとの出会いが、自分のみならずドライコの命運さえ左右することを、彼女は知るよしもなかった……暗澹たるゴシック近未来を構築し、ギブスンらの絶賛を浴びた知性派作家の問題作登場!

カバーより

 ずいぶん久しぶりに再読。このシリーズは、翻訳をされた黒丸尚氏が亡くなられたため、6部作のうち2作目の『テラプレーン』と3作目の本書『ヒーザーン』しか刊行されなかった。読みづらく、邦訳もずいぶん大変だったようだが、私としてはかなり気に入っていたシリーズだったので、他の作品が読めずとても残念だ。

 読みづらい一番の原因は、作中で「ポスト文字」と呼ばれているこの世界の人々特有の話し方だ。若い人ほどこの言葉を使っていて、何を言ってるのかさっぱりわからない。例えばこんな感じだ。

「今朝、ガスを受け取ったの……」
単独ソロ」とジェイク、「回収った。橋方で撒いた。灰は灰は灰、丸五尋」
P206より

「了解、父さん。倍二重。もしなし、たぶんなし」
P234より

 他にも、「要必須化」「AOK」など独特の言い回しがいくつも登場していて、当時斬新に感じられたものだった。だが、読みづらいのはこの「ポスト文字」のせいだけではない。その世界の大枠が語られないのに細部がこと細かく語られたり、起こった出来事の描写がわかりにくかったりと、何度かじっくり読まなければ、何が書かれているのかなかなか飲み込めない。

 物語の舞台は1998年のアメリカ。すでに15年も前のことになってしまっているが、原作が書かれたのは1990年なので、近未来SFとして書かれた作品だ。ここで描かれているアメリカは非常に殺伐としている。ささいなことで容赦なく人を殺害するのが日常化している。貧富の差は激しく、普通に暮らしていても運次第では路上で生活するはめになりかねない。ロング・アイランドでは内戦が起きていて、ニューヨークに軍が駐留し、道路を戦車が走行している。アメリカ国家の実権は、超巨大企業ドライコ社が握っている。

 このドライコ社のトップがサッチャー・ドライデン。その妻のスージイにはビジネスの才能があり、ドライコ社をこれほどの企業にのし上げた。物語は、彼らに雇われサッチャーに愛人として囲われているユダヤ人女性、ジョアナの一人称で書かれている。

 未来を予言すると評判になっているレスターのことを聞きつけたサッチャーは、彼をドライコ社で囲い込み、救世主として商品化しようと目論む。新規プロジェクト担当のジョアナは、レスターに接触。レスターは断るも、ドライコ社の強大な力の前ではなすすべもなく、引き受けざるを得ない状況に追い込まれていく。

 レスターによると、神々はもとはひとりだったが分裂し、神と善神よがみのふたりとなった。いずれの日にかまたひとつになろうとしているという。レスターと親しくなったジョアナは、彼の影響で神秘体験をし、ドライコ社と関わってきたこれまでの人生を大きく見つめ直すことになっていく。ちなみに、タイトルの『ヒーザーン』は異教徒ヒーズンという言葉が南部風になまったものだ。

 一方、ドライコ社では調査必須化の事件が起きていた。社員のひとりジェンスンが、フグの毒(!)を注射され、昏睡状態に陥り死亡したというのだ。黒幕は、商売敵の日本人オーツカか、それともロシア人か。フグの毒、寿司坊や、刀に巫女と、いかにも西洋人が好きそうなずれた日本人像はどうかと思うが…。ジェンスンの事件で表面化したドライコ社に対する陰謀に、サッチャーは容赦なく対処する。

 病んで終末感ただよう未来で、サッチャーとスージイの夫妻は強烈な個性を放っている。彼らの武勇伝は半端ではない。大統領の選出や排除も彼らに操作されているし、ほとんどの企業が彼らに所有されている。中絶反対派のスージイは、中絶はしないが生まれた子供を容赦なく殺すとか、サッチャーの実の兄の遺体がある日冷蔵庫から転がり出てきたとか、ドライデン家の暗い秘密は底が深くはかりしれない。一方で二人にはお互いにしかわかり得ない強固な結びつきもあるようだ。なんとも割れ鍋に綴じ蓋の夫婦で興味深い。

 レスターは分裂したふたりの神々について語るが、対するサッチャーはエルヴィスを信奉している。彼はエルヴィスが今でも生きていて、そのうち姿を現すと信じている。あとがきを読むとサッチャーのこの信仰は『Ambient』でも登場していたようだ。また、4作目の作品のタイトルは、まさにそのものずばり『Elvissey』だ。いったいどんな信仰が語られているのだろうか。

 サッチャーやスージイの指示により、実際に手を汚すのは保安部の社員だ。保安部を監督しているガスに路上で拾われて才能を見いだされたジェイクは、まだ14歳にもかかわらず殺人の才能を発揮する。彼は殺人マシーンにも関わらず邪気が無い。『テラプレーン』ではこのジェイクが成長して再登場している。

 人々が次々と安易に殺害される殺伐たる世界観において、レスターとジョアナの二人だけは、良心的で清廉だ。ジョアナがこの病んだ世界に傷付き、人々の死を嘆き悲しむことで、作品全体の暗さが引き立ちながらも、どこか救いを感じさせる。こうしたシーンがあると無いとでは、物語の質として大違いだと思う。レスターがジョアナに見せる、神々の一瞬の光景が何ともいえず美しい。また、物語は赤ん坊が空から降ってくるところから始まり、それを受けてか、ラストでは救世主が空を舞うシーンで終わっている。残酷な結果は切り離し滑空する瞬間だけが描写されていて、なんとも美しいシーンとなっている。解説を読むとこのラストの出来事が、『Ambient』に続く布石となっているようだ。

シリーズ構成

 シリーズ6作の構成は以下のとおり。邦訳された2作はどちらもすでに絶版となっているので、中古でしか手に入らないだろうが、電子書籍が普及してきたので、原書なら「電子ブック楽天kobo〉」で手に入るようだ。便利な世の中になったものだ。

  • Ambient(1987)
  • Terraplane(1988):『テラプレーン
  • Heathern(1990):『ヒーザーン』(本書)
  • Elvissey(1993)
  • Random Acts of Senseless Violence(1995)
  • Going, Going, Gone(2000)

 ちなみに、これも解説によると、シリーズを時系列に並べると『ヒーザーン』→『Ambient』→『テラプレーン』となるようだ。