『言語都市』

あらすじ

遙かな未来、人類は辺境の惑星アリエカに居留地〈エンバシータウン〉を建設し、謎めいた先住種族と共存していた。アリエカ人は、口に相当する二つの器官から同時に発話するという特殊な言語構造を持っている。そのため人類は、彼らと意思疎通できる能力を備えた〈大使〉をクローン生成し外交を行っていた。だが、平穏だったアリエカ社会は、ある日を境に大きな変化に見舞われる。新任大使エズ/ラーが赴任、異端の力を持つエズ/ラーの言葉は、あたかも麻薬のようにアリエカ人の間に浸透し、この星を動乱の渦に巻き込んでいった…。現代SFの旗手が描く新世代の異星SF

裏表紙より

 『都市と都市』(感想はこちら)の解説で、『エンバシータウン』(仮)として紹介されていた作品。これまでに翻訳されたミエヴィルの作品の中では一番本格的なSFで、SFの醍醐味を感じられる。けっして読みやすくはないが、非常に独特で異彩を放っている。世界観は綿密に作りこまれていて、奇妙で風変わりな異世界の日常が、次々と綴られている。それらはまるで、みんなが知ってる当たり前のことを語っているかのように、たいした説明もなく綴られているので、最初に読んだ時には、何が何やらよくわからない。しかし、何度か読むうちに、背後の事情などが読み取れてきて、詰め込まれた細部の面白さに引き込まれる。


 主人公は、アリエカ人に直喩とされたイマーサーのアヴィス。これだけでもう、何のことだかさっぱりわからないと思うが、読んでいても同様で、最初はさっぱりわからない状態が続く…。また、過去と現在が入り交じりながら語られるので、なおさら状況がつかめない。


 舞台となるのは、イマーの辺境に位置する惑星アリエカ。この物語の世界には、我々のいる物質界 通常宇宙マンヒマルとは異なった、恒常宇宙イマーと呼ばれる空間がある。イマーは通常宇宙とは位置関係が異なっているため、そこを通ることで短時間での宇宙航行が可能となっている。人類はイマーを航行して宇宙に進出し、異星人とも交流がある。アリエカも異星人が住む惑星のひとつ。人類の国家ブレーメンは、土着のアリエカ人に許可を得て、彼らの都市の一角に人間の居住地エンバシータウンを作って植民した。ホストであるアリエカ人はエンバシータウンの外に住んでいて、人間とアリエカ人はそれなりにうまく共存している。


 難破船があったり灯台があったり、イマーはまるで未踏査の深海のような描かれ方をしていて、ロマンをかき立てられる。多くの人はイマーに潜ると気分が悪くなるが、たまに適性のある人もいて、イマーサーとして活躍していた。アリエカで生まれ育ったアヴィスも適性があり、外世界へ出て活躍していたが、言語学者のサイルと出会って結婚し、アリエカに戻ってきた。サイルはアリエカ人の“ゲンゴ”に興味を持っていた。


 アリエカ人の話す言葉“ゲンゴ”は非常に風変わりだ。彼らは二つの口を持ち、そこから同時に異なる音を発することでゲンゴを話す。人間が同じように二人で音を出したり、機械で音を重ねたりしたのでは、アリエカ人にはゲンゴだと認識されない。音の背後にひとつの精神がなければ、彼らには話しているということすら認識できない。そこで編み出されたのが、クローンの二人組みによる大使だった。見分けがつかないほどそっくりに調整され、リンクされたクローンのペアが、同時に異なる音を発する。アリエカではこうしてつくりあげられた大使たちによって、ホストとの交流が行われていた。


 事件が起きたのは、新任の大使エズ/ラーがゲンゴを発した時だった。それまでの大使はアリエカで育てられていた。しかし、エズ/ラーはブレーメンからアリエカに送り込まれてきた。しかも彼らはクローンではなく、異なる人間のペアだった。このあり得ない大使がゲンゴを発すると、アリエカ人の間に何かが起こった。しかし、当初は何が起きているのか人間たちにはわからなかった。この一件を境に、アリエカの社会は崩壊し始める。


 ここから先の状況がなかなかすごい。そもそもアリエカ人の日常は、人間から見ると、問題がない時でもかなり特殊だ。家は生きていて中に入ると内蔵が見えるし、動き回ることもできる。エンバシータウンには食料や物資などがアリエカ人の農場などから輸送されてくるのだが、それなども喉やら腸やらの生きたチューブを通って運ばれる。また、彼らはバイオリグというテクノロジーを使った道具類を日常的に使っていて、人類もこの技術の恩恵にあずかっている。これにはどうやら生きた細胞が組み込まれているようだ。彼らにとっては道具は家畜のように生きて動いているのが普通なのだ。


 こんな異質な街が、崩壊するのだ。家や道具類や乗り物など、さまざまなものが使い物にならなくなる。道具類は凶暴化し、飛行船は墜落し、家は野良化して脱走する。アリエカ人からの補給を頼りとしていたエンバシータウンは機能しなくなり、生活基盤が崩壊し始める。ブレーメンからの救出を待つも、宇宙船は現われない。


 以前読んだこの作者の短編集『ジェイクを探して』に収録されていた「ロンドンにおける“ある出来事”の報告」では、通りが生きていて放浪したり、勝手に繁殖したりしていた。また、子供向けファンタジーの『アンランダン』では、捨てられたゴミなどが動き回っていた。『言語都市』では、こうした作品の非現実的な要素を抜き出して、もっともらしい根拠や理屈を与えて、写実的に表現したかのようだ。写実的に描かれている分、かえって異質さ、異様さが増している。


 エズ/ラーが引き起こした事態は、アリエカ人が嘘をつくことができない精神構造をしていることに由来していた。彼らは事実と異なることが語れない。人間と交流するようになって、彼らは真実とは異なることを少しずつ語ることができるようになった。その練習過程で使われたのが「直喩」とされた人間たち。アヴィスもそんな直喩の一人だ。「AはBと似ている」に「BはCと似ている」という直喩を組み合わせることで、まったく異なるAとCが似ていることになる。こうしてアリエカ人は嘘をつく能力を獲得していく。


 嘘をつく能力というと、あまり人聞きは良くない。けれどもこれは、虚構を語り、物語を語る能力ということだ。これまでアリエカ人は、直接的な思考しか出来ず、文字も持たず、「あれ」とか「それ」などの指し示す言葉も持たなかった。あるものを別のもので表すこと、嘘で真実を語ること。人間がたいして意識せずに行っていることを、アリエカ人は実に苦労して獲得し、新しい世界を切り拓いてゆく。この過程がなかなか感動的だ。

隠喩が、お金と同じように、比較できないものを同等化した。
P441より


こう表現されると、これまで何気なく使っていたことがなんとすごいことに思えることか。アリエカ人にとっては嘘をつく能力の獲得は、生存を賭けた大きな進歩なのだ。


 一方、イマーの辺境に位置するアリエカは、裏返せばイマーの最先端でもある。ラストは、未知の新しい世界にこれから船出しようとする冒険者のような趣があり、期待に満ちたものとなっていた。このイマーをネタにまだまだ面白いSFがつくりだせそうではあるが、作者のこだわりのテーマ自体はこの作品で完結したように思える。魅力的な設定がもったいない気もするが、この世界観はこれっきりとなりそうだ。とはいえ、毎回まったく異なる作風で、アイデア豊富な独創的な作品を発表している作者なので、さらに面白いSFを書いてくれることを期待したい。