『時間はだれも待ってくれない』

目次

  • 序章 ツァーリとカイザーの狭間で 高野史緒
  • オーストリア
    • 「ハーベムス・パーパム(新教皇万歳)」 ヘルムート・W・モンマース 著/識名章喜
  • ルーマニア
    • 「私と犬」 オナ・フランツ 著/住谷春也 訳
    • 「女性成功者」 ロクサーナ・ブルンチェアヌ 著/住谷春也 訳
  • ベラルーシ
    • 「ブリャハ」 アンドレイ・フェダレンカ 著/越野剛 訳
  • チェコ
    • 「もうひとつの街」 ミハル・アイヴァス 著/阿部賢一
  • スロヴァキア
    • 「カウントダウン」 シチェファン・フスリツァ 著/木村英明 訳
    • 「三つの色」 シチェファン・フスリツァ 著/木村英明 訳
  • ポーランド
    • 「時間はだれも待ってくれない」 ミハウ・ストゥドニャレク 著/小椋彩 訳
  • 旧東ドイツ
    • 「労働者階級の手にあるインターネット」 アンゲラ&カールハインツ・シュタインミラー 著/西塔玲司 訳
  • ハンガリー
    • 盛雲シェンユン、庭園に隠れる者」 ダルヴァシ・ラースロー 著/鵜戸聡 訳
  • ラトヴィア
    • 「アスコルディーネの愛 ―ダウガワ河幻想―」 ヤーニス・エインフェルズ 著/黒沢歩 訳
  • セルビア
  • 解説 東欧の「幽霊」には足がある? 沼野充義
  • 編者あとがき 高野史緒

 21世紀以降に東欧諸国で書かれたSFやファンタスチカを、独自に編集した傑作集。東欧10カ国を網羅し、12作品が紹介されている。特筆すべきは英語やロシア語からの重訳ではなく、全作品が各国の原語から直接日本語へと翻訳されていることだ。とくに、ラトヴィア語から直接日本語に翻訳された小説は、本作品が初めてだそうだ。意義深い意欲的な1冊として高く評価されるべきだろう。


 「ファンタスチカ」という言葉には馴染みがなかったのだが、この周辺のカテゴリー全般をあらわす言葉としては使い勝手が良さそうだ。「ファンタジー」だと剣や魔法、ドラゴンや妖精などといったイメージが強すぎてこれに当てはまらないものを言い表しづらいが、「ファンタスチカ」だともう少しあいまいで、ちょっと不思議な物語全般を幅広く表せる。

東欧文学に関しては、「SF」よりも「ファンタスチカ」という語のほうがしっくり来るのだ。すなわちサイエンス・フィクションやファンタジー、歴史改変小説、幻想文学、ホラー等を包括したジャンル設定だ。P9より


 作品の冒頭には、編者による解説が国別に掲載されている。それぞれのお国事情や作品の選出・翻訳にまつわるエピソードなどが紹介されていて、東欧各国への理解を深める内容となっている。ソ連が崩壊し、これらの国々は民族のアイデンティティを取り戻した。あれ以降、各国の事情は大きく変わったことだろう。これらの作品にはそうした事情も大きく反影されているに違いない。これをきっかけに、英語圏以外の作品の翻訳も活発になることを期待したい。

「ハーベムス・パーパム(新教皇万歳)」

 ローマ教皇を選出する教皇選出会議コンクラーヴェの様子を、実況中継風に描いた作品。人間の男性のみが選択対象だったこれまででも、この会議は何日もかかって大変そうだった。だが、信徒が人間だけではなく、エイリアンやロボットも含まれてくるとなるとどうなるのか。時代に合わせ、宗教も解釈を変えていく必要があるのだろう。

「私と犬」

 人間の寿命は倍増し、老化速度が遅くなった未来。安楽死禁止法ができたため、なかなか死ぬことはできない。主人公の「私」は日常生活を淡々と繰り返す。その「私」の健康状態をチェックしているのが、犬の形をしたロボットだ。「私」はゆっくりとだが確実に老いていき、孤独ではあるが、死ぬことはない。そんな日常の様子がたんたんと描かれている。

「女性成功者」

 仕事で成功した裕福な女性。次は家庭を充実させようと、人生の伴侶としてのロボットを特注する。完璧な組み合わせで誰からもうらやまれる結婚だったが…。こういうタイプの人にはロボットでも人間でもあまり違いはなさそうだ。

「ブリャハ」

 チェルノブイリ事故が起き、人々のほとんどが避難してしまった村の様子を描く。この村に住むブリャハは、へまばかりするため近隣の人々から邪見に扱われてきた。しかし多くの人々がいなくなった今では、こんなブリャハでも頼りにしなければならなくなった。豚を解体する手伝いを頼まれたブリャハだったが…。なんとも荒涼とした救いのない話だ。SFの範疇には入らないだろうけれども、これまで揺らがないと思っていた日常生活が、ある日突然根底から覆されるという点で、状況そのものがSF的だ。震災が起きてまさにタイムリーな選出となった。

「もうひとつの街」

 各国のこうした作品を1冊で紹介しようとするならば、短篇しか紹介できないだろうと思いながら読んでいたのだが、なんと裏技を駆使して長篇が収録されていた。それがこの作品。驚いたことに、第八章と第九章のみが掲載されていた。全体を読めないのでどんな内容なのかわかりかねる部分もあるが、独特の雰囲気は伝わってくる。


 プラハの古本屋である書物を手にし、「もうひとつの街」があることを知った〈私〉。ここに行こうとあちこちをうろうろして情報を収集するが、部外者だとばれ、追い回される。ポホジェレッツで唯一開いていたビストロに入ると、昨夜の追跡者のひとりが給仕をしていた。「もうひとつの街」のことが知りたいなら来るようにと、彼の娘に呼び出される。深夜に寺院の鐘楼へ行ってみると…。


 特に物珍しいものが登場するというわけではないのに、組み合わせのせいか独特の不思議な世界観がある。イタチを入れたケースを持つ人々、そのイタチがテレビを載せた台車を引っ張り、魚を手にした人々が祭典に集い、鐘楼ではサメが襲ってくるなど、なんとも一風変わった不思議な世界観を持つ作品だ。一冊まるごと読んでみたいものだ。

「カウントダウン」

 ある日突然世界の終わりが始まった。グリーンピースから分かれてできたグリーンウォーが中国の共産党体制に抗議して、世界各地の原発を一斉に攻撃。世界の終わりがカウントダウンされる様子を描く。テロリストの主張のハチャメチャさに驚くが、現実でもこれとあまり変わりないようにも思える。

「三つの色」

 三つの色とは国旗の色のこと。白・赤・青のスロヴァキアの国旗に対し、ハンガリーの国旗は白・赤・緑。実際には二つの国の間で戦争は起こらなかったが、もし戦争となっていたらという、現実とは異なる世界を描いた作品。主人公は停戦協定をやぶったスナイパー。彼が銃を手に入れてスナイパーとなる過程が描かれ、廃墟と野良犬と恐怖があふれた街の様子が描かれている。

「時間はだれも待ってくれない。」

 戦争で破壊されたワルシャワのシェンナ通りを愛する祖父のために、この通りを写した絵はがきを探す主人公の「僕」。ある骨董品店でようやく祖父のコレクションにはないタイプの絵はがきを手に入れた。骨董屋はもうひとつの提案を持ちかけてきた。彼によると、古い建物は1年に1度、影となって現われるという。その周期を割り出したとする骨董屋に連れられて、祖父の育ったシェンナ通りの屋敷を訪れる。しっとりとした情感のある作品だ。

「労働者階級の手にあるインターネット」

 電子メール・プログラムの事故により、ヴァルターに他人宛のメールが届いた。ところが、送信者には自分自身の名前が書かれている。しかも、アドレスは、東独崩壊直前に彼が属していた、すでに解体された科学アカデミーサイバネティックス・情報プロセス研究所のものだった。最初は誰かの悪ふざけと思って返信のメールを入れたヴァルターだったが…。東ドイツならではの事情を描いた作品だ。

盛雲シェンユン、庭園に隠れる者」

 中国風のファンタジー。みごとな清朝庭園チン・ケルンを所有し愛でていた若き君主の元に、盛雲シェンユンと名乗る異邦人が現われ、自分はその庭園に隠れることができ、公が1日かけても見つけ出すことができないだろうと切り出した。公と盛雲の賭けはエスカレートし、一年、十年、二十五年、一生の間でもと展開する。二人の賭けの結末は…。なかなか壮絶で面白い。また、中国風味がいい感じだ。

「アスコルディーネの愛 ―ダウガワ河幻想―」

 ダウガワ河をめぐる幻想的な物語。この河で目撃されたブリッグ*1には、美しい娘アスコルディーネが閉じ込められていた。その数ヶ月後に、この河でスクーナ*2が目撃される。このスクーナーとこれに乗り込む男たち、そしてアスコルディーネをめぐり、いくつかの物語が展開される。だが、何がどうなったのか、登場人物は誰なのか、時系列はどうなっているのかが、いまいちわかりづらい物語だ。河を軸に美しい娘を取り合う物語で、ローレライ伝説のような雰囲気を感じる。

「列車」

 銀行に勤める上級顧問のホートーニン氏は、列車の一等車両で神と同室になった。世間話をする二人。神は彼に何でも質問するよううながした。彼の質問とは…。星新一ショートショートのように、軽快でちょっぴりシニカルな物語。

*1:横帆の二本マストの船

*2:十六〜十七世紀のオランダで最初に用いられた二本以上のマストに縦帆を装備した帆船