『天冥の標V 羊と猿と百掬の銀河』

あらすじ

西暦2349年、小惑星パラス。地下の野菜農場を営む40台の農夫タック・ヴァンディは、調子の悪い環境制御装置、星間生鮮食品チェーンの進出、そして反抗期を迎えた一人娘ザリーカの扱いに思い悩む日々だった。そんな日常は、地球から来た学者アニーとの出会いで微妙に変化していくが――。その6000万年前、地球から遠く離れた惑星の海底に繁茂する原子サンゴ虫の中で、ふと何かの自我が覚醒した――急展開のシリーズ第5巻

カバーより

 これまでもじゅうぶん面白かったのだが、SF的に見るとこの巻は、もうジタバタするほど群を抜いて面白い。今回のテーマは農業だが、メインの章とは別に、独立した断章が半分くらいを占めている。この断章が滅茶苦茶おもしろいのだ。


 今回は「亡霊ダダー」の物語。断章1で描かれているのは、ダダーことノルルスカインの6億年におよぶ人生(人ではないが)だ。ここには地球外生命体がいくつも描かれている。ユーモラスにさらっと書かれているけれども、ここに登場する地球外生命体はどれも、世界的なレベルで見てもすごくよくできたSFに仕上がっているのではなかろうか。


 まずはノルルスカインとサンゴ人たち。サンゴ人は、自分ではなく隣に食べさせてやるという習性を持つ。この発想はすごい。ここまで他者依存の生き物はあまりいないように思う。だが、だからこそ、ノルルスカインのような変なものが自然に生み出されたというのも納得できる。サンゴ人がノルルスカインに気がつき、お互いを認識して対話を始める様子が面白い。また、このサンゴ人の歴史も興味深い。わけのわからない建造物をつくってみたり、高度な糸電話を発明して文明を発達させたりする。こうした細部もなんとも面白い。のどかな異星人像もいいし、移動や水の上や音が彼らの概念にないところもよく考えられている。


 お次ぎはトゥリッカたち。西洋圏の作家が描く地球外生命体は、善か悪かの二者択一で描かれていることが多いように思うが、ここに登場する地球外生命体は、もう少し微妙なカテゴリーに属している。『銀河ヒッチハイク・ガイド』風のノルルスカインの『諸注意』によると、「敵意はないが、コンタクトが侵略的であるために他種族を絶滅させる」というカテゴリーだ。海外SFばかりを読んでいると、こうした「飽きっぽい見物人」的な異星人は、なかなか新鮮に思える。


 この他にも、ちょい役で登場する「鉛色星人」ですら、もうネーミングだけでものすごく面白い。


 人工的な被展開体(きっと他のSFなどではAIとなるのだろう)の「いたずらっ子ミスチフ」は、キャラクター像が秀逸だ。まぁ、アニメや漫画などではありがちだろうけれど、外人作家にはおそらくこんなAIは書けないだろう。


 そして極めつけのオムニフロラ。構造が面白いし、単体ではなく生態系だというところが興味深い。しかもこの生態系、実にたちが悪い。悪意がなくてもこれほど破壊的で悪質だとは。なまじ、悪意がないだけに、よりいっそう空恐ろしい。


 確かに、ダダーのノルルスカインを始め、ミスチフやオムニフロラの名も、これまでにも登場していた気がする。だが、説明もないまま見慣れぬ言葉がならんでいたので、意味がわかっていなかった。今回ようやくこれらの正体がここで明かされた。ドロテア・ワットの正体もわかってきたし、冥王斑がどういう病気なのかも推測がついた。今回でシリーズ全体のストーリーが大きく進展した感じだ。どうやら「羊」側と「猿」側にわかれて抗争が行われているようだ。もう一度最初から読み直せば、ああ、そういうことだったのかと納得する部分がいくつもあることだろう。


 さて、メインの章では、小惑星パラスで営まれている農業について描かれている。時代は24世紀なかば。地下農場を営むタック・ヴァンディは、反抗期の娘ザリーカに手を焼いていた。これ以外にも彼には心配事が多く、調子の悪い機械のことや、競合の大手生鮮食品チェーンの動向や、作物の病気のことが気になっていた。そんな彼の農場へ、地球からの研究者アニーを受け入れることになった。ザリーカはこれにも反発する。


 ザリーカをいつまでも手元に引き留めておけないと感じたタックは、娘の希望をかなえるために、これまで手がけたことのなかった小麦の栽培に挑戦する。けれども事情が変わって約束が守れず、ザリーカはついに家出してしまった。


 断章で植物の脅威が語られる中、メインの章ではこれに対比して、人類と共存する植物のことが語られている。農業は、人類が植物を手名付ける作業だ。パラスも小麦の病気のレッドリートの脅威にさらされるが、人々はくじけず挑戦し続ける。ラストの明星のエピソードは希望の光のようだ。アニーの正体がたいして明かされなかったのが気になるが、ザリーカは生い立ちから考えても今後も登場すると思うので、続きに期待したい。


 それにしても、昨今の日本のSFは好調だ。このシリーズもぜひ英語化して、日本の誇れるSFのひとつとして世界に紹介してもらいたいものだ。