『ミレニアム1―ドラゴン・タトゥーの女』

あらすじ

ミカエルはハリエット失踪事件に関する膨大な資料を調べる一方、ヘンリックの一族のいわくありげな人々の中に分け入っていく。だが謎は深まるばかりで、助手が必要と感じた彼は、背中にドラゴンのタトゥーを入れた女性調査員リスベットの存在を知り、彼女の協力を得ることに成功する。二人の調査で明かされる忌まわしい事実とは? 幾重にも張りめぐらされた謎、愛と復讐。全世界を魅了した壮大なミステリ三部作の第一部

カバーより

 スウェーデンのジャーナリストによる、デヴュー作ながらも世界的なミリオンセラーとなったミステリー。だが、作者は3作目を書きあげたあとで亡くなってしまったそうだ。シリーズが続かないことがなんとも残念。


 主人公のミカエル・ブルムクヴィストは、雑誌『ミレニアム』の発行責任者で記者もつとめている。ヴェンネルストレムの不正を告発する記事を書いたが、名誉毀損で起訴され有罪となってしまった。


 『ミレニアム』を守るために発行責任者からはずれようとしていたミカエルの元に、ある依頼が舞い込んだ。依頼してきたのは大企業ヴァンゲル・グループの前会長ヘンリック・ヴァンゲル。一族の歴史を書いてほしいという表向きの依頼内容とは別に、彼には真の目的があった。


 それは、1966年に失踪した、兄の孫娘ハリエットの身に何が起きたのかをつきとめてほしいというものだった。彼は三十余年の長きにわたり、ハリエットの失踪について取り憑かれたように調べていた。巨額の報酬とヴェンネルストレムの不正の証拠の提供という餌をちらつかせ、彼はミカエルをこの謎解きに引き込んだ。


 1966年、ハリエットはヴァンゲル家の一族がヘーデビー島に集まっていた日に失踪してしまった。ヘーデビー島から本土にわたる唯一の橋は、その日に起きた自動車事故でふさがれていた。船で出て行った形跡もない。捜索が何度も行われたが、彼女の行方はまったくわからなかった。死体さえも見つからなかった。ヘンリックは、彼女が殺され、一族の中にその犯人がいるのではないかと、疑っていた。


 ミカエルはヘーデビー島に住み、ヘンリックの集めた膨大な資料に目を通す。島の地図やヴァンゲル家の家系図が掲載されていて、見比べながら読めるのが面白い。ヴァンゲル家の一族は人数が多く、家系図を見ていないとどれが誰だかわからなくなってくる。ヘンリックは当初から一族の者に対して嫌悪感をあらわにしていたが、それぞれの人物像が明らかになってくるにつれ、一族の多くの者の異様さに驚かされる。特にユダヤ人に対する蔑視や憎しみが尋常ではない。いくら裕福であっても、こんな一族に生まれ育つのはたいへんなことだろう。


 一方、ミカエルにこの件を依頼する前に、ヘンリックはミカエルのことを調査会社に調べさせていた。これを担当したのがリスベット・サランデル。このシリーズのもう1人の主人公だ。彼女はとっつきにくい人物で、社会不適格人物として後見人をつけられていた。けれども調査の手腕は超一流で、また、凄腕のハッカーでもあった。彼女の後見人を長年つとめたパルムグレンは病で倒れ、その後任をビュルマン弁護士が引き継いだ。彼はリスベットを能力のない人物と頭から決めつけ、卑劣な行為におよぶ。


 小説を読む前に、TVで放映されたドラマ(スウェーデンで映画として公開されたもの)を観ていたため謎解きの部分をすでに知ってしまっていたが、それでも引き込まれる面白さだ。ハリエットの失踪は、密室ミステリーの要素を持っている。とはいえ、島なのでそれほど厳密ではない。当初は手がかりをつかめるとはまったく思えない状況だったが、調査は次第に進展し始める。


 ドラマではもっとトントン拍子に謎解きが進んでいた印象だったが、こうして原作を読んでみると、解決の糸口がようやく見えてくるのはミカエルが島で暮らしはじめて半年以上が経ってからのことである。見事なのはその調査の進め方だ。作者がジャーナリストであるためか、写真などを根気よく地道に調べ、それを撮影した人物にあたり、さらにそこから推測を進め、調べに調べてしだいに真相に近づいている。


 もうひとつ面白かったのは、ドラマでは気がつかなかったけれども、この作品が実は、ジャーナリストの倫理観や社会的使命について問いを投げかけるものになっていることだ。もちろん、第一部の原題が『女を憎む男たち』となっているように、女性に対する暴力や残虐な行為、偏見、差別、憎しみなどへの批判が、シリーズの根底に流れている。だがその一方で、ジャーナリストの倫理感についても再三意見がのべられている。


 経済ジャーナリストに対するミカエルの一家言もそのうちのひとつ。これまでも痛烈に批判してきたために、同業者に何人も敵を作ってしまい、冒頭の有罪判決では逆襲の機会とばかり手ひどくたたかれている。また、ハッキングしたリスベットに対しても、ミカエルはプライバシーについて倫理を説く。ところが、ハリエットの事件の真相の取り扱いについては、ミカエルの倫理観が通用しない。独自の倫理観を持つリスベットは、こう突きつける。

(前略)があの別荘で彼女をレイプしたのと、あなたが新聞の見出しを使って彼女をレイプするのと、どっちのほうが悪いこと?P358、p359より


 ミカエルはジャーナリストとしての倫理観と人としての倫理観との板挟みになり、納得できずひたすら悶々とする。あまりに納得しかねたために、その怒りのはけ口をヴェンネルストレムの悪事の告発に見いだしつっぱしる。この記事を書いている最中のミカエルは、なんと幸せそうなことか。悪党を悪党としてやっつけられるのは、ジャーナリスト冥利に尽きるのだろう。彼は根っからのジャーナリストなのだ。


 登場人物たちのキャラクター像にも、考えさせられるものがある。上巻の訳者のあとがきによると、男性・女性に関する先入観を意識的にひっくり返して描かれているそうだ。


 ミカエルは、「美しくセクシーだが賢いとはいえない典型的な女性キャラクターの男性版」として描かれているそうだ。どうりで彼はモテモテで、出会う女性に片っ端から言い寄られている。とはいえ、まったくのおバカというわけでもない。お人好しで、知性はリスベットに劣るものの、直感にすぐれ手がかりをいくつも見つけているし、食らいついたら離さない粘り強さは一流だ。それでも予想外の出来事に直面してはあたふたしていることが何度かあるし、のこのこ危険に飛び込んでは絶体絶命のピンチに陥り、かけつけた白馬の王子様に助けられる役回りを担っている。


 リスベットは、世間の考える女性像とは著しくかけはなれた人物として描かれている。知的水準が高く、超一流の調査員で、危機の際にも冷静沈着に的確な判断がくだせる。機械類や物の仕組みを理解する能力に長け、映像的記憶力の持ち主だ。けれどもとっつきにくく、他人と交流する能力には欠ける。外見もチビで痩せっぽちのため、とるにたらない子供のように見える。型にはまらないからことごとく誤解され、そのたびにこっぴどい目にあわされている。また、セクシーではないにもかかわらず、たびたび性的に目を付けられる。けれども彼女は自分を被害者とはまったく考えず、やられたら手ひどくやり返す。おそらく、男性がこの性格だったらもっと受け入れられていただろうし、こんなひどい扱いは受けていなかっただろう。


 いっぽう、ミカエルと共同で『ミレニアム』を発行しているエリカ・ベルジェは、世間の考える女性像に合致した、しかも勝ち組の女性として描かれている。裕福な家庭に生まれ育ち、容姿にも恵まれ、仕事も成功していて社会的にも認められ、多種多様な人物とたちまち友人関係を築く能力があり、結婚もしていて夫に認知された愛人までいる。リスベットとは見事に正反対だ。


 余談だが、ミカエルの読んでいる本のいくつかは、私も愛読しているシリーズだ。スー・グラフトン*1サラ・パレツキー*2も、女性探偵を主人公にしたシリーズを、かれこれ30年近くコンスタントに書き続けている。どちらの主人公も、男性を相手にハードに立ちまわり、危険をものともせず事件を解決する。自立した女性像がかっこいい。また、ハリエットが読んでいた『少女探偵ナンシー・ドルー』のシリーズも、子供の頃好きだったシリーズだ。

*1:キンジー・ミルホーンシリーズ

*2:V・I・ウォーショースキーシリーズ