『ねじまき少女』

あらすじ

石油が枯渇し、エネルギー構造が激変した近未来のバンコク。遺伝子組換動物を使役させエネルギーを取り出す工場を経営するアンダースン・レイクは、ある日、市場で奇妙な外見と芳醇な味を持つ果物ンガウを手にする。ンガウの調査を始めたアンダースンは、ある夜、クラブで踊る少女型アンドロイドのエミコに出会う。彼とねじまき少女エミコとの出会いは、世界の運命を大きく変えていった。主要SF賞を総なめにした鮮烈作

カバーより

あらすじ

聖なる都市バンコクは、環境省の白シャツ隊隊長ジェイディーの失脚後、一触即発の状態にあった。カロリー企業に対する王国最後の砦〈種子バンク〉を管理する環境省と、カロリー企業との協調路線をとる通産省の利害は激しく対立していた。そして、新人類の都へと旅立つことを夢見るエミコが、その想いのあまり取った行動により、首都は未曾有の危機に陥っていった。新たな世界観を提示し、絶賛を浴びた新鋭によるエコSF!

カバーより

 バチガルピ。なんとも印象にのこるひびきの名前だ。ロバート・J・ソウヤーから注目のSF作家として選ばれていたため、おおいに期待していた。資源が枯渇しひっぱくした未来をエキゾチックに描いた本書の世界観は目新しく、評判どおり次世代のSFという感じがする。


 物語の舞台となっているのはタイのバンコク西洋人ファランのアンダースンはこの街で改良型ゼンマイの工場を経営している。しかし工場では問題が次から次へと持ちあがり、大幅な赤字が続いている。けれども、アンダースンには秘密の任務があり、工場の経営はじつは隠れみのだった。アンダースンの工場で采配を任されている中国人のホク・セン、日本企業に置きざりにされ娼館で働かされているねじまきのエミコ、環境省の白シャツ隊隊長で虎の異名をもつジェイディー、ジェイディーの部下カニヤなどを巻き込んで、事態はどんどん深刻になってゆく。


 物語のトーンは暗く、焦燥感がただよっている。何もかもがひっぱくしているし、資源もない。技術も追いついておらず、さまざまなことがうまくいかない。街は海面より低く、巨大な防潮堤で海を堰止めているが、もうすぐ雨期なので浸水が心配されている。多くの作物は絶滅してしまっている。新種のウィルス・病気・害虫などが猛威をふるったようだ。どうやらこれらの災害は、前の時代に流行した遺伝子改造の産物のように見受けられる。おそらく制御しきれず生態系をぶちこわしてしまったのではないだろうか。また、愛玩動物として遺伝子改造でつくられたチェシャ猫は、本物の猫に取って代わり、すっかり野生化してしまっている。


 過去の人びと*1に対する非難もあちこちに見られる。かつてはさまざまなものがあたりまえのように豊富にあった。それがどれほどゆたかで恵まれていることだったかに気がつきもせず、むとんちゃくにも浪費してしまった。そのおろかさへの非難が耳に痛い。しかし、それは本当にフィクションだけにとどまるのだろうか。現在さまざまな動物や植物がものすごい勢いで絶滅してしまっている。下手をするとこんな世界が本当に未来で実現してしまうかもしれない。それを考えると空恐ろしい。


 資源の枯渇したこの世界では、動力源はゼンマイが主流だ。工場も、船も、戦車も、銃も、ゼンマイで動く。大きなゼンマイは、象を遺伝子改造した巨獣メゴドントに巻かせる。蒸気機関が主流のスチーム・パンクはいくつか読んだが、ゼンマイ仕掛けが主流なのは初めて読んだ。ゼンマイ以外は人力が頼りだ。パソコンも足踏み式だし、ラジオも手回し式だ。料理などには、ゴミや糞などを発酵させたメタンガスがつかわれる。


 また、かつてマレーシアで起きた中国人大虐殺の記憶も、物語に暗い影を落としている。マレーシアでは裕福だったホク・センは、一族を皆殺しにされ、タイに身ひとつで逃げのびて来た。この時の悪夢が再三ホク・センをさいなむ。彼は運良くアンダースンにやとわれたが、中国人の難民はタイではイエローカードと呼ばれてさげすまれ、仕事に就くのも難しい。けれども彼は、身の安全と再びの繁栄を求めて抜け目なく画策し、したたかに立ちまわる。


 タイトルに『ねじまき少女』とあるが、ねじまきのエミコはじつはゼンマイ仕掛けのロボットではなかった。どうやら遺伝子操作で設計された改造人間のようだ。見ためも人間とほとんど変わらない。動きがぎくしゃくしていることから、ねじまきと呼ばれている。


 服従することで満足感を得られるよう設計されている彼女は、ひどい扱いを受けている。自意識を持たないロボットならともかく、人間と同じような感覚を持つ者に対してこんな扱いをするのはひどすぎる。農場では腕が10本あるねじまきが奴隷として使われている。こういう扱いにはさすがに違和感を覚える。ねじまきがどういう遺伝子操作でつくられたのかくわしいことは書かれていないが、人間の遺伝子を元につくられたのではないかと思える点も問題だ。さすがにこれは受け入れがたい。これだったら日本人は、むしろロボットを人間そっくりにつくる方に心血をそそぐのではないだろうか。


 日本についての作者の知識は誤解も多い。水子地蔵をねじまきの守護神にしてみたり、ビジネスシーンで茶を点ててみたり、おかしな点が多々ある。タイの風習も、我々にはわからなくても本国の人が見たらおかしな点があるかもしれない。


 『グリムスペース』(感想はこちら)に引き続き、この作品も現在進行形で書かれていた。『グリムスペース』は主人公の視点の一人称のみだったが、本作は三人称で、章ごとに主要な5人の視点に切り替わる。


 余談だが、現在進行形で書くメリットとして、死ぬ状況を一人称形式で実況中継できるという利点を思いついた。死んだ後には書けないから過去形で書くのは不可能だが、現在進行形なら可能だ。『華竜の宮』(感想はこちら)のように一人称と三人称が入り交じった形式なら、死んでいく過程を一人称で思う存分語ることができそうだ。推理小説などでやってみると面白いかもしれない。


 いくつかのストーリーが複雑にからみ、展開はまったく予測がつかない。アンダースンの工場はどうなるのか、ねじまきのエミコはねじまきの住む村にたどりつけるのか、ホク・センは改良型ゼンマイの設計図を手に入れることができるのか、アンダースンの秘密の任務は成功するのか、気になるストーリーラインはいくつもある。しかし、何もかもが手に負えないほど悪化していくなか、事態はおおきく動いていく。ラストが少しは救いを感じさせるものとなったのは幸いだった。

「ラーマ王陛下はクルンテープのことなどちっとも気にかけていらっしゃらなかった。陛下が気にかけていらっしゃったのはおれたちだった。だから、おれたちが守るべき象徴を作ってくださったんだ。だが、大切なのは町じゃない、人なんだ。人が奴隷状態だったら、町になんの意味があるんだ?」下巻P360より


 日本の政治家たちにも、ぜひこの言葉を吟味して、みならってもらいたいものだ。

*1:つまり現代の我々