『世界の中心で、愛をさけぶ』

 『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハーラン・エリスン著)ISBN:4150103305 とタイトルがそっくりな別物。しかも認知度において大きくひとり勝ちしている。


 主人公朔太郎とアキは学級委員同士だったことをきっかけに、お互い恋愛感情を持ちはじめる。何の疑念も障害も葛藤もなく、二人の美しい純愛世界は次第に育まれていく。しかしアキは白血病を患い、悲しくも美しいままひとり旅立ってしまう。


なるほどと思ったのはこんなシーン。

「お金を稼ぐってどういうこと?」
「さあ」
「それはつまり、社会のなかで能力に応じて役割を演じるってことだよ。その報酬がお金なんだ。それなら人を好きになる能力に恵まれている人間は、その能力を生かして人を好きになることで、お金をもらってなぜ悪い?」

なんと現実感にとぼしく美しいことか。彼らの人生そのものが、現実ではなく夢を演じているかのようだ。生きることの上澄みだけをすくい取り、底に沈む澱はまったく目に触れない。そんな美しさだ。


 エピローグで、大人になった朔太郎が現実へと足を踏み入れようとする予感が感じられる。それが救い。


 この本を貸してくれた友達はとても心優しい素直なこなので、「泣けるから電車の中で読んではダメ」と忠告してくれた。忠告には従わず電車で読んだが大丈夫だった。

補足

 おそらく、ここに描かれているアキは男性の求める理想の女性像なのだろう。優しく明るくそれなりにきれい。この本を貸してくれた友達は、その理想像に自分自身を近づけるために、たぶん一生懸命努力をしている。理想の女性像という型に自分自身を押し込めることを何の疑問にも思わず。彼女は自分自身が努力しているからこそ、その努力の結果として、アキのように愛されることを切に願っているのだろう。そしてアキに自分自身を重ね、亡くなるシーンを涙なしには読めないのだろう。


 この本には彼女のような女性から見てロマンチックと思える要素がふんだんに盛り込まれているようだ。私から見るとロマンチックな要素は現実的な要素との対比がないと生きてこないのではないかと思えるのだが、ロマンチックな要素だけのほうが良いと感じる人もいるのだろう。


 ちなみに私がロマンチックだと感じる愛の告白というのは以下のようなものだから、私の感想は当てにはならない。

「あたしがあなたにブローンになってほしいのは、あなたが頭がよくて、陰険で、卑劣で、無節操で、図々しいからよ。どのボタンを押せばあたしを思いどおりに動かせるか知っているからよ。あなたは見かけも背丈もたいしたことはないけれど、あたしだって人のことは言えた義理じゃないわ。あたしは信じているの。―あなたの力を借りればどんな試練も切り抜けられるって…ベータ・コルヴィの試練でさえ」
「信じるだと?」腹わたをしぼるような、悲鳴にも似た声だった。彼は身体を小刻みにふるわせて、笑いを抑えようとした。「ばかめ。麻薬のせいで頭がいかれちまったらしい。きみは成長不良の、縮れ毛の、ロマンチックな、けつの青いガキだ。ぼくを信用するのか?ぼくがきみのことをなにからなにまで調べ尽くしたのを、知らないのか?ぼくはきみの外見を知るために、染色体外挿図を作らせることさえした。それに、七日たらず前にきみのパネルに刻み込まれたばかりの解錠言葉(リリース・ワード)も知っている!ぼくを信じるのか?きみにとってぼくは一番信用できない人間だ。ぼくをブローンに選ぶだと?こいつは傑作だぜ!」アン・マキャフリー著『歌う船』より